心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

本当のところはわからない

 

 

本当のところは、どれも

わからない。

 

 

 

人のことも

正しい答えも

未来のことも

 

どれも、わからない。

 

 

 

それが

合っているか、間違っているか

良いことか、悪いことか

優れているか、劣っているか

味方か、敵か

 

わからない。

決められない。

 

 

 

 

 

悪いことが起こった!と思っても

それが良いことのはじまりかもしれない。

 

悪いことが起こったことで

自分に向き合わざるを得ない状況になって

結果、成長や癒しが起こることもある。

 

悪いことが起こったことで

関係がギクシャクしてた人と本音で話せて

逆に、その人と

良好な関係を結べることもある。

 

悪いことが起こったことで

自分にとって運命の人と出会えることもある。

 

 

 

これらの場合、そのことは

良いことだったのか?

悪いことだったのか?

 

わからない。

 

 

 

 

 

例えば

マナーを守らない人がいるとする。

 

マナー違反だ!

間違っている!

悪い行為だ!

人でなしだ!

と、その人を断罪していいのだろうか?

責め立てていいのだろうか?

 

 

 

その人はマナーに疎い人かもしれない。

 

 

 

けれど、もしかしたら

マナーを守らないのではなく

守れない人かもしれない。

 

マナーを守れないほど

心に余裕がないのかもしれないし

機能的に守れないのかもしれない。

 

病気が関係して守れないとか

マナーを理解できないとか

最愛の人を失ったばかりで

周りが見えなくなるほど

心にゆとりがないとか

その人の事情は他の人からはわからない。

 

もし、自分がその人と同じ状況になったら

自分もまた同じようにするかもしれない。

 

いきなり「悪い!」と責め立てるよりも

「こうしていただきたいのですが」

「こうすることできますか?」

と、促す方が寛容だ。

 

 

 

 

 

人のことは、外側からは

本当のところはわからない。

 

その人が正しいのか

間違っているのか

そんなことはわからない。

 

だから、人のことを

「こうだ」と決めつけられない。

 

 

 

 

 

 

人のことも

正しい答えも

未来のことも

 

本当のところはわからない。

 

 

 

 

 

 

だから

その時、そのままを

見る。

 

わからないけれども

ありのままを、そのまま見る。

ただ、見る。

 

そして、自分も

ありのまま、そのままでいる。

 

 

 

それが

ありのままの世界だ。

 

 

 

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