心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

罪を犯した人は悪人なのか

 

 

 

今の世の中、コロナが蔓延していて

人々が分断されているように感じます。

 

真面目に自粛をする人

そこまで気にしてない人

 

ワクチンを接種した人

ワクチンを接種しない人

 

という感じで。

 

 

 

コロナ関連に限らず

人は、良くない行いをした人や

みんなと違う人、、常識から外れている人

罪を犯した人などを批判して叩くものです。

 

叩いている人は

自分は正しいと信じています。

 

自分だったらあんなことしない。

自分だったらあんなミスしない。

自分だったらあんな罪犯さない。

そう思っています。

 

だから、あんなことしたあの人は悪い

あの人は間違っている、と叩きます。

自分は正しいと信じて疑いません。

 

 

 

それは、本当にそうなのでしょうか?

 

 

 

自粛やワクチンについては

どのような行動を選んでも罪ではなく

その人の自由です。

 

その人のものの捉え方、置かれた環境

健康上の事情など、さまざまな事情があって

それぞれ自分で選んでいるので

一方的に叩くのは、それこそ自分本位で

偏狭だと言えるでしょう。

 

 

 

 

 

では、罪を犯した人はどうでしょうか?

 

人のものを盗る、人を殺す、など

明らかな罪を犯した人に対して

人は、その人を悪人だと思い、責められ

叩かれ、嫌われて当然の存在だと思います。

 

「それは当然の報いだ。

罪を犯したのだから。」と思います。

 

そして、「自分だったらそんなことしない。

自分だったらそんなことできない。」

と、自分は善人だと思っているでしょう。

 

罪を犯した人は悪人で、自分は善人。

そう思っています。

 

 

 

 

 

それは、私もそう思いますし

確かにそうなのです。

 

「私は人を殺したりしない。絶対に。」

と思っています。

「私は人など殺せない善人だ」

と思っています。

 

 

 

 

けれど、今、私が人を殺さないのは

善人だからなのではなく

そういう縁じゃなかっただけです。

 

私だって、生まれた環境、時代

持って生まれた資質によっては

人を殺すかもしれません。

 

今、私が人を殺さないのは

善人だからではなく

たまたま恵まれた環境にいたからです。

 

生まれた時代が良かったし

恵まれた環境で、恵まれた人との出会いがあり

たまたまそういう縁だったからです。

 

 

 

 

 

8月は終戦記念日があることもあって

戦争関連の番組がたくさんやっていました。

 

その中で、地上戦に巻き込まれて

もう後がないという時に

自分の幼い子どもの首を絞めて殺した人や

自分の母親、妹と順番に銃で撃って殺した人が

テレビに出て語っていました。

 

戦争だから仕方なかった

異常事態でそうするしかなかった、と

言いながら、何十年経っても

苦しそうにしていた姿が印象に残りました。

 

 

人間とは、異常事態に陥り、追い込まれたら

罪を犯してしまうものなのだと思いました。

 

 

 

 

「それは戦争だからでしょう?

今の平和な時代で人を殺す人は違う。」

と思うかもしれませんが、同じです。

 

その人の中では

まるで戦争中のように異常事態で

追い込まれていたのかもしれません。

 

生まれた時から、過酷な環境で育って

救ってくれるような人が周りにいなかったら

どのような心理状態になるのか

恵まれてる人には想像できないでしょう。

 

人は、追い込まれたら

罪を犯してしまうものなのです。

 

それは、私も同じで

逆に罪を犯した人が、もし恵まれていたら

その人は罪など犯さない人生だったかも

しれません。

 

 

 

そう考えると

善人、悪人ってなんだろう?と思います。

 

 

 

 

 

私は、自分と他人の悪を批判するだけでなく

ありのまま認めて

この世界をフラットに見たいです。

 

そして、人や自分を裁く自分

悪口を言う自分に

気づいていたいと思いました。

 

 

 

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