心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

未熟な親は存在し続ける

 

 

 

テレビなどで

いろんな情報を得るところによると

世の中には、未熟な親がいるものです。

 

未熟な親は、子どもをきちんと守れず

寄り添うこともできず、子どもを傷つけ

孤独なまま社会に放り出します。

 

 

 

きちんと育ててもらえないまま

社会に放り出された元子どもの人たちは

どれだけ心細いことでしょう。

 

どれだけの苦悩を抱え

どれだけ生きづらいでしょうか。

 

 

 

そんな未熟な親がいる一方

自分の子どもではないのに

親のいない子を温かく養育する人もいます。

 

そういう人に育てられた元子どもの人は

産みの親よりも育ての親が

自分にとっては「お母さん」だと言います。

 

もう80歳も過ぎたおじいさんが

涙を流して育ての親を

「お母さん」と恋しんでいたりします。

 

そういう親に恵まれない子を

何十人も育て上げる人を

テレビで立て続けに見ました。

 

 

 

これは、どういうことでしょうか?

 

 

 

自分のことで精一杯で

子どもを孤独で不幸にする未熟な親。

実の親に育てられたのに

心に空虚さを抱える生きづらい子。

 

自分の子ではないのに

他人の子を愛情豊かに育て上げる親。

実の親には恵まれなかったけど

育ての親が愛をくれて

心に温かさを持って生きられる子。

 

 

 

 

 

未熟な親に育てられた

生きづらい人のことを思うと

その理不尽さに憤り

「この現実は変えられないのだろうか?」

などとやるせない気持ちになってしまいます。

 

 

未熟な親、生きづらい子。

愛情豊かな親、幸せな子。

これらは確かにいます。

 

いつの時代にも

たぶんこれからの世界にも。

 

 

 

自分が「良い」と思うものだけでなく

世界にはすべてがあります。

 

自分が「悪い」と思うものも存在し続けます。

なくなりません。

 

 

 

このことを視点をグンと上げて考えてみると

未熟な親は未熟な親だったというだけのこと。

 

その人をなんとかしようとか

どうしてそうなんだと怒っても

意味がないのです。

 

その人はそうなのです。

 

その人はそこから

何かを学んでいるかもしれないし

子どもにその経験をさせるために

その役割を演じているのかもしれません。

 

良くない行いをして自分の波動を落としてまで

演じているボランティアかもしれないのです。

 

 

 

世界にはすべてがある。

それらは、実は良い悪いと

きっちりとは分けられない。

 

それが何に繋がっていくのか

裏にはどんな意味が隠されているのか

どんな課題があるのか

どんな文脈なのか

私たちにはわかりません。

 

それが良いのか、悪いのか

本当のところはわからないのです。

 

 

 

そして、理不尽だと思うことも

悲惨だと思うことも

人のことはどうすることもできません。

 

こちらから見て理不尽だと思っても

悲惨だと思っても、その人は

きっと自分の人生を精一杯生きています。

 

 

 

だから、きっと

すべてはそのままでいいのです。

 

それはそうであるだけ。

そういうこともある、

そういう人もいる、というだけ。

 

 

 

そう受け入れて

自分は自分の世界を楽しくすることだけ

考えていればいいのだと思いました。

 

自分に集中して、自分を幸せにして

その愛を周りに配って影響させていく。

それが結果的には

世の中のためになることなのだと思います。

 

 

人の悲しみにモヤモヤしていましたが

やっぱり私は

自分を幸せにすることに集中することが

大切なのだと再認識しました。

 

 

 

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