心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

自分自身を生きなければ幸せにはなれない

 

 

 

最近よくテレビで、「宗教二世」の人や

「きょうだい」の人を見ます。

 

その人たちを見ていて感じたのは

宗教二世ときょうだいとACは

根っこは同じということです。

 

 

 

宗教二世は、親が新興宗教に傾倒していて

子どもの自分も強制的に入信させられた人。

 

宗教の教義が一番大切にされるので

普通の教育を受けられなかったり

自由に進学や就職、結婚ができません。

 

(他にも辛いことはたくさんあるそうですが

ここでは割愛させていただきます)

 

自分の意思が尊重されなかった宗教二世は

「自分がどう感じているのかわからない」

「自分が何が好きなのかわからない」

と言います。

 

この自分を失った感じが

AC(アダルトチルドレン)に通ずるものが

あるなと思いました。

 

 

 

そして、きょうだいとは

障害のある子の兄弟で、ひらがな表記で

「きょうだい」と書くそうです。

 

障害のある子が兄弟にいると

親はその障害のある子にかかり切りになり

きょうだいは手をかけてもらえません。

 

寂しい子ども時代を過ごした人が

ほとんどです。

 

さらに、その障害のある子の

世話をすることも期待され

進学や就職などで、自由に

自分のやりたいことができません。

(実家から離れることを許されないなど)

 

寂しさを堪えて

親に喜んでもらいたい

親の期待に応えたい、と

ひたすら良い子を演じてきた人が多いそうです。

 

家の中は障害のある子を中心に回っていくので

「自分は言いたいことは何も言えなかった」

ときょうだいの人は言います。

 

この自分を押し殺した感じが

まるでACだと思いました。

 

 

 

そして、ACとは

親が精神疾患など何かしら問題を抱え

子どもにとっての安全基地になれないことで

機能不全を起こした家族の中で育った人です。

 

ACも、安心できる環境ではないので

自分を守るために自分を偽り

周りに合わせて生きてきた人たちです。

 

 

 

 

 

AC、宗教二世、きょうだいは

それぞれに育った環境は違い

辛さも違うかもしれませんが

ひとりの人としての尊厳が傷つけられていて

自分自身でいることが許されない環境だった

ということが同じだと思います。

 

そして、わがままを言ったり

自由奔放に振る舞ったり

安心して子どもらしくいられる子ども時代を

失った人たちでもあります。

 

なので、広義の意味では

宗教二世もきょうだいも

ACなのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

自分の言いたいことを言うことが許されず

自分という人間が尊重されなかった。

いつも本当の自分とは違う自分、

周りから望まれる自分を演じていて

仮面をつけて生きてきた。

自分の人生が自分以外の人やもののためにある。

 

自分を蔑ろにされてきた人たち。

そして、そこから解放されたとしても

生きづらさは残り

今でも苦しんでいる人たち。

自分を奪われて

空虚になってしまった人たち。

 

そんな共通項があるように思います。

 

 

 

 

そう考えると、つくづく思うのは

やっぱり人間は自分以外のものに

なろうとすると病むということ。

 

人間は自分自身を生きなければ

幸せにはなれないということです。

 

 

 

シンプルで当たり前なことだけれど

とても大切なことなのです。

 

言いたいことを言う。

やりたいことをやる。

やりたくないことはやらない。

自分の意思を尊重する。

 

つまり、自分自身でいるということ。

 

 

 

自分自身で生きるというのは

自分を愛することと同じだと思います。

 

 

 

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