心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

受け身の姿勢でいるということ

 

 

私はよく

「○○だったらいいなぁ」

「○○が欲しいなぁ」

「○○をしたいなぁ」

と思っていました。

 

「こうだったらいいのに

ああだったらいいのに」

と願っていました。

 

初詣で神様にお願いしたり

七夕で短冊に書いたり

と、願っていました。

 

 

 

そうして願っていると

本当に望み通り叶うこともあり

その時はとても喜びました。

 

でも、叶わなくても

私はそのまま叶うのを待っていました。

 

 

 

 

 

 

そんなある時、夢を見ました。

 

道端に大きなりんごの木があります。

その木には、直径1mくらいはありそうな

大きくて真っ赤に熟したりんごの実が

たくさんなっていました。

 

私はそれを見て

「わあ〜♡りんごだ!欲しいな!」

とワクワクして思いました。

 

そして、ワクワクと見ているのです。

 

そこへ、4〜5人の子どもたちが

ワーワー言いながらやってきて

あれよあれよとりんごの実を

取ってしまいました。

 

そして、収穫を喜びながら

どこかへ行ってしまいました。

 

大きくて美味しそうな実はすべてなくなり

りんごの木には、もう魅力のない

カスのような実しか残っていません。

 

私はというと、その様子をずっと見ていて

「りんごなくなっちゃったなぁ」と

残念に思ってはいるものの

それも仕方ないとぼんやり受け入れています。

 

そんな夢でした。

 

 

 

 

 

 

私は、りんごの木を

ワクワクしながら見ている時

本当は「誰か取ってきてくれないかな」

と期待して待っていたのです。

 

「誰か、私の願いを叶えてくれないかな」

と期待して待っていたのです。

 

でも、私が動かなかったから

りんごの実はなくなってしまいました。

 

 

 

 

りんごの実がなくなっても仕方ないと

受け入れている私を

夢の中で、もうひとりの私が見ていて

その私が強く思いました。

 

 

 

「自分で取りに行けばいいじゃん!」と。

 

 

 

「自分が足を動かして、りんごの木に近寄り

手を動かして実を掴み

もいで自分のものにすればいいじゃん!」

 

なのに、なぜ私は心の中では

あれ欲しいこれ欲しいと願いがあるのに

いつも自分では動かないで

誰かが叶えてくれるのを待っているのだろう?

 

そして、叶わなくても

すぐに諦めてしまうのだろう?

 

 

 

 

 

 

これは、私が「受け身」の姿勢を

身につけてしまっていたからです。

 

毒親育ちのアダルトチルドレンである私は

子どもの頃、母親に支配されていて

私のことは母親が決めていました。

 

私に何か望みがあっても

それを叶えることができないのが日常で

私が何か自分から動こうとすると

それは否定され却下されました。

 

すべては母親の望み通りでなくてはならず

私の希望、欲望は顧みられることは

なかったのです。

 

 

 

その環境にずっといると

もう自分から望みを叶えにいくというのは

始めから諦めてしまうようになりました。

 

「どうせ自分では叶えられない」

と、思い込んでいるのです。

 

だから、誰かが(母親が)叶えてくれるのを

待つことしかできなくて

もしそれがうまくいかなくても

諦めることしかできなかったのです。

 

 

 

 

 

 

でも、その受け身の状態は

「たわわに実るりんごを目の前にして

じっとしているだけの自分」。

 

なんとバカバカしいことでしょうか。

 

そのりんごの木の夢のおかげで

私は、受け身でいることの

バカバカしさを知りました。

 

つまり、日常の中でも

私は同じように受け身でいたのです。

夢は、そのことに気づかせてくれました。

 

 

 

 

 

 

受け身でいると、その人の人生は

ワクワクも輝きもなく

死んだように生きることになります。

 

そうは言っても

この受け身のスタンスというのは

自分に染みついているものなので

いきなり主体的にというのは

なかなか難しいものがあります。

 

けれど、意識して

少しずつ変えていくしかないので

「自分の望みは何か?」

「それを叶えるために

自分にできることは何か?」と聞き

行動していくしかありません。

 

 

 

欲しいものがあったら

自分の前に現れるのを待つのではなく

自分で買いに行く。

 

自分が心地よくなりたいのなら

自分で心地よさを追求して、しつらえる。

 

観たいものがあるのなら

自分で手配して観に行く。

 

食べたいものがあるのなら

自分で用意して食べる。

 

やりたいことがあるのなら

今、自分にできることを吟味して

行動していく。

 

そうして自ら行動するしかないのです。

 

 

 

 

自分の楽しみや安らぎのために

思い通りになることを願うだけではなく

自分でそれを叶えるために

行動していくというのが大切です。

 

自分の楽しみや安らぎは

誰かに用意してもらうのではなく

自分で責任を持って

自分に与えてあげるのです。

 

 

 

 

 

 

こんな当たり前のことが

私はできていませんでした。

 

受け身の自分に気づいて

私は、自分の幸せの全責任を

自分で持とうと思いました。

 

自分を幸せにできるのは

自分だけなのです。

 

 

 

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