心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

私は自由です

 

 

何度目かのおこもり生活をしています。

 

自粛しているので外出の予定はなく

子どもは夏休みで学校もなく

やらなきゃいけない用事が何もなくて

私は自由です。

 

 

 

 

 

本当は、お風呂に入らなくてもいいし

朝、起きなくてもいいし

夜、起きていてもいいし

決まった時間にご飯食べなくてもいいし

テレビだって無制限に観ることができます。

 

自分がそうしたければ何をしてもいい。

こうしなければならないということは

本当は何ひとつない。

私は自由です。

 

自分の「したい」をしていいし

「したくない」をしなくていい。

 

 

 

 

 

なのに、いつもつい

朝のうちにトイレ掃除しておこう

そろそろ時間だからご飯食べよう

夕方だからご飯作らなきゃ

もうお風呂に入らなきゃ

早く寝なきゃ、と

時間に追われ、用事に追われ

「しなきゃ」に追われてしまいます。

 

私は、一日自由なのに、なぜか

やらなきゃいけないことが決まっていて

それをこなして一日が終わっていきます。

一日が決まってしまっています。

 

本当は何も決まってなどなく

何をしてもいいし、私は自由なのに。

 

 

 

 

 

 

いつものルーティンをこなしていると

それが自分がやりたいことだったのか

わからなくなります。

 

だから、ちょっと立ち止まって

自分に聞いてみようと思いました。

 

「今、何やりたい?」

 

いつもやっていることを

試しにやらないでいて

やりたいことだけやって過ごそう

と思いました。

 

 

 

 

子どもは自分のことは自分でできるので

大丈夫なので、とりあえず

猫と植物のお世話だけはしました。

 

 

 

そのあと、自分に意識を向けると

いつも自分が何を望んでいるか

どう思っているか、わかってないで

行動しているのがよくわかりました。

 

いつも、自分がどう思っているのかは

どっかに置いておいて、とりあえず

やるべきことをこなしていっているのです。

 

これ、やりたい?やりたくない?

これ、好き?嫌い?と、いちいち

自分に確認することを怠っていました。

 

それよりも、やるべきこと

やらなければならないことを優先して

やってしまおうとしていました。

 

自分の気持ちに意識を向けておくこと

それも「いつでも」というのは

案外難しいんだなと思いました。

 

 

 

そんなふうにして

自分に意識を向けて過ごしてみると

気づいたことがありました。

 

 

 

いつも、やるべきことの合間に

自分の好きなことをしようとすると

テレビを観る、読書などの

受け身のものが多くなります。

 

受け身のものというのは

誰かが作った作品を鑑賞して楽しむものです。

ドラマ、映画、本、音楽、など。

 

それら受け身のものは

自分はただ与えられたものを楽しむだけなので

エネルギーを使わずに楽しむことができます。

 

楽で楽しいという感じです。

 

 

 

でも、やるべきことを後回しにして

まず今自分のやりたいことを

「何しようかな」と考えると

いつもと少し違うことをしたくなります。

 

それは、ホットケーキ焼こう!だったり

窓から顔だして雨の匂いを嗅いでみたり

届いていた椅子を組み立てよう!だったり

バニラフレーバーのデカフェ紅茶に

アーモンドミルクを入れて飲んでみよう

だったりします。

 

自分が主体となって能動的に動けるのです。

 

それは、自分が体を動かすことや

自分が作ること、体験することなどで

楽しむことにエネルギーを使います。

 

まず、自分のやりたいことからやると

こうして自分のやりたいことに

エネルギーを使えるのですね。

 

 

 

でも、やるべきことを先にやって

余った時間でやりたいことをやろうとしても

もうエネルギーが残ってなくて

あまりエネルギーを使わない娯楽を

楽しむことになります。

 

もちろん、ドラマも映画も本も大好きで

受け身の楽しみだって生活の中にあると

とても豊かで、彩りを添えてくれるので

それも必要で悪いことではないのですが。

 

 

 

でも、自分が主体的に動くこと

やりたいことをやっていくことは

生きる意味のひとつのような気がします。

 

どうでもいいようなことでも

大したことないことでも

やっぱりそれは楽しいですから。

ワクワクしますから。

 

 

 

 

 

今回、こんなことを考えてみて

「やるべきことをやる」

「やりたいことをやる」それぞれ

選択権はいつも自分にあることを

実感しました。

 

やるべきことをやってもいいし

やらなくてもいい。

やりたいことをやってもいいし

やらなくてもいい。

 

何も決まってなくて

全部、自分がその時その時選んでいい。

選択権は自分にあります。

 

 

 

 

私は自由です。

 

 

 

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