心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

すべてが大切な存在

 

 

 

コロナの感染拡大が始まって

丸2年が経ちます。

 

このウィルスが日本にもやってきて

始めの頃は「未知の感染症」「未知の体験」で

わからないということの恐怖

モノが手に入らないという恐怖から

世間は混乱していました。

 

 

 

人々がモノを取り合ったり

買い占めたり

感染者を差別したり

医療従事者を差別したりしていて

私は、「この今の騒動を

神さまは笑っているだろうか。

さぞ人間は間抜けに見えるのだろう。」と

思っていました。

 

 

そして、その世間の様子を見ていて

ふと「ああ、みんなでひとつなんだなぁ」

と腑に落ちたのです。

 

 

 

何が欠けても、誰が欠けても

機能停止してしまう。

 

中国のマスク工場が止まれば

マスクは作られず、手に入らない。

 

日本でも、子どもの休講によって

パートの人が休めばお店は回せない。

お店は開けられない。

 

すると、私たちの元にモノが届かない。

買えない。

 

 

 

それだけで世間はパニックでした。

 

それだけで、いつものように

平穏には暮らせなくなる。

 

トイレットペーパーがない。

マスクがない。

 

これが、もしお米だったら?

途端に私たちは生きられなくなる。

 

 

 

「すべてが大事、みんな大事。

みんなでひとつなんだな。」

と思いました。

 

中国の工場の人も、パートの人も

モノを運んでくれるトラックの運転手さんも

道路を作ってくれた人も

道路を照らす灯りを作ってくれた人も

モノを発明した人も

それを売ってくれる人も、買う人も

材料も、燃料も

 

みんな必要な存在です。

 

全部があって回っている。

どの存在が欠けてもダメなのです。

 

 

 

トップだけが偉いのではありません。

パートの人がいなければ

お店は回せないのですから

立場の違いはあっても

トップもパートも、みんな同じだけ大事なのです。

 

このことがわかっている経営者は

従業員(特に非正規雇用の)を

粗末にすることなく、感謝して

大切にするでしょう。

 

 

 

私は、このことで

「何かが欠けたらこんなに困る」

ということを教えてもらいました。

 

だから、みんなに感謝、すべてに感謝です。

 

普通の生活って

とてもありがたいことなのだと

実感しました。

 

欲しいものが買える。

食べたいものが食べられる。

 

それは、当たり前ではなくて

恩恵なのです。

 

 

 

それを忘れないでいたいです。

 

 

 

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