心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

自己否定について

 

 

 

私は、長年

自己否定に苦しんできました。

 

それは真実ではなくて

ただの思い込みで

妄想だってわかっているのに

頭ではわかっているのに

心の底では自分を許せず

自分が大嫌いでした。

 

自分はダメな人間だと思っていました。

 

 

 

このままではダメだ。

ダラダラ生きて何もしていない。

無駄に生きている。

今のままだと何のために生きてるのか

わからない。

何の価値もない。

 

 

 

この無価値感が苦しいのです。

この自己否定が苦しいのです。

 

苦しくて、苦しくて

生きるのをやめたくなるのです。

 

これから先、ずっと生きていく自信がなくて

暗い気分になります。

 

 

 

 

ある時、ふと

私はなんでこんなに自分が嫌いなんだろう?

なんで自分を許さないんだろう?

なんで自分に価値も意味もないと思う?

なんで自己否定するんだろう?

と疑問に思いました。

 

 

 

冷静に考えると

私は優れた人間ではありませんが

ごく普通に生きている平凡な人間です。

 

もちろん悪いこともするし

欠点もいっぱいありますが

自分自身を許さないこの基準だと

世の中の半分以上の人が価値がなくて

生きてる意味がないということに

なってしまうのではないかと思います。

 

本当に、世の中の半分以上の人が

生きてる価値がないのでしょうか?

生きてる意味がないのでしょうか?

 

 

 

そんなことないはずです。

 

もしそうなら

この世のある意味もわかりません。

 

一部の優秀な人だけに価値がある。

そこに入らなければ人生おしまい。

そんなのおかしい。

 

それが真実なら

この世を作った意味がない。

 

 

 

価値があるのか、ないのか。

意味があるのか、ないのか。

その答えはわかりません。

 

もしかしたら、どんなに優秀でも

どんなにお金持ちでも

価値も意味もないのかもしれません。

 

だとしたら、人をどこかで線引きする

そのことに無理があるのかも?

 

 

 

いろんな人がいて、いろんな生き方

いろんな境遇、いろんな環境

いろんな能力、いろんな個性

すべてが一緒くたになっているのが

この世の中です。

 

こっちからこっちはこう、とか

そういう区別はなくて

全部が、いろんな人すべてが

ごちゃごちゃで一緒。

 

こっちからこっちは価値がある

なんて線引きは

自分が勝手に思い込んでいるだけです。

 

外側から見たら、全部それでいい。

もしくは、全部意味なんてない。

 

 

 

 

だとしたら、私はどうして

「自分はダメだ」という妄想を

ずっと握りしめているのでしょうか?

 

その妄想をなぜ捨てないのでしょうか?

 

 

そこに留まりたいのか。

そこが心地いいのか。

都合いいのか。

進みたくないのか。

成長したくないのか。

幸せになりたくないのか。

ずっとそのままでいたいのか。

 

 

 

 

 

驚くべきことに

私は、自己否定することを

自分で選んでいることに気づきました。

 

自分で苦しいと言いながら

自己否定を選んでいるのです。

自分が離さないのです。

 

 

 

本当はとても簡単なことで

自己否定が苦しい、嫌だと思うなら

今すぐに、このままの自分を許して

受け入れるだけです。

 

それができないというのは

自分がそうしたくないからなのです。

 

なぜなら、自己否定を手放してしまうと

自分が成長してしまう

自分が幸せになってしまう

自分が変わってしまうから。

 

自分が変わってしまうのは

何より怖いことなのです。

未知が怖くて

一歩も動きたくないのです。

 

 

 

 

自己否定は、確かに

多くは幼少期に植え付けられます。

 

親の言葉、教師や友達の言葉

とある出来事などから

自分でそう思い込みます。

 

その思い込みは無意識に仕舞い込まれ

自覚できないことも多いです。

 

自己否定を自覚できないでいる時が

一番ザワザワして辛いでしょう。

どうしてかわからないけれど

悲しい、腹が立つ、うまくいかない、など。

 

原因がわからないので対処もできず

ただ心の波風に翻弄されている状態です。

 

 

 

けれど、自分が

自分のことを否定していると気づいたら

その先は自分で選ぶことができます。

 

その自己否定を

これからも握りしめ続けるのか

それとも手放すのか。

 

選ぶのは自分。

すべて自由。

 

さあ、自分は何を選択する?

 

 

 

 

 

私の自己否定は

母からの管理、支配、否定で

植え付けられたと思っています。

 

そのせいで苦しい思いをしました。

 

でも、自分と向き合ううちに

自分が自分のことをどう思っているのか

だんだん明確になってきて

自分の思い込みが真実ではないことを

学んでいきました。

 

「自分は悪い子じゃなかった。

自分はダメな人間じゃなかった。」

と理解していきました。

 

 

 

そうして、頭で

自分を否定しなくてもいいんだと思っても

それでも自己否定はなくなりませんでした。

 

それは、自分が自己否定して

悩んでいる自分でいたかったからです。

このまま悩んで停滞していたかったからです。

苦しい苦しいと言いながら

居心地がよかったのです。

 

だから、私は自分で

自己否定することを選んでいました。

意識にも上がらないような心の奥底で

そう決めていました。

 

 

 

私の場合、自己否定は

途中までは環境のせいで

途中からは自分の選択だったのです。

 

自己否定していることに気づいた時が

その境界線だったように思います。

 

気づいたことは手放せるからです。

 

 

 

私は

自己否定を手放して心穏やかになるには

「今すぐにこのままの自分を許して

受け入れるだけ」という簡単さに

衝撃を受けました。

 

自分のどんなことをどんなふうに

思っているのか、否定しているのか

とことん聴くという作業は必要ですが

本当に、それだけなのです。

 

自分が選ぶだけなのです。

 

 

 

 

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