心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

助け合える人がいるということ

 

 

 

私は、よく近所の公共の自転車置き場を

使っているのですが、そこで

過去何回か、自転車のドミノ倒しを

やらかしてしまうことがありました。

 

そんな時は、ワーッとなって

最悪な気分になるのですけれど

決まって、その場にいる人たちが

自転車を起こすのを手伝ってくれ

私は周りの人たちに助けられていました。

 

 

 

 

 

先日、いつものように自転車置き場に行くと

あるおじさんが自転車のドミノ倒しを

してしまっているところに出くわしました。

 

でも、そのおじさんは

倒れた自転車を起こさず、そのままにして

立ち去ってしまいました。

 

 

 

 

私は、先程書いたように

過去に自転車を倒してしまい

その場にいた人たちに

いつも助けられていたので

ここで自分が何もしないという選択肢は

ありませんでした。

 

自転車を倒した当の本人は

去って行ってしまったけれど、私は

「仕方ない。起こそう。」と思いました。

 

自転車は何台か倒れ

おそらく荷台に入っていたであろう

さまざまな荷物(子どもの手提げバックや

ランドセルなど)は散乱して

散乱した荷物は雨上がりの水溜まりに

投げ出されていました。

 

 

 

 

自転車を起こそうと近づいていくと

私と同じように思った人が

もうひとりいたようです。

 

その人も倒れた自転車を起こそうと

手を伸ばしていました。

 

私たちは(その人は女性でした)

自転車の前と後ろを持って

協力して自転車を起こしていきました。

 

散乱した荷物も拾い

荷台に戻しました。

 

そして、すべてが終わると

お互いに「お疲れさまでした」と

労い合い、私たちは別れました。

 

 

 

 

 

私は、その時

一緒に手伝ってくれる人がいるというのは

なんて幸せなことだろうと思いました。

 

助けてくれる人がいるというのは

なんて幸せなのでしょう。

 

自転車を起こすことは

それほど大変なことではありませんでした。

ふたりでやったら本当に軽々と

事は済んだのです。

 

人と助け合うことで

苦労はとても小さくなってしまうのでした。

 

 

 

 

私は、その女性と助け合って

一緒に自転車を起こしている時

幸せを感じていました。

 

人と関わり、協力し合い、助け合い

補い合い、与え合う。

それが人間の本質なのだと思いました。

 

本来、そうしたいのが人間で

だから私は、自転車置き場でそれを経験でき

心が満たされて、心が震えたのです。

 

 

私は嬉しかった。

幸せだったのです。

 

 

 

 

自転車を倒して

そのまま去って行ってしまった人は

この気持ちを味わうことができませんでした。

 

それは、気の毒なことだなと

思いました。

 

 

 

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