心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

人は裁かなくていい

 

 

 

私は職場に行く時に

有料の自転車置き場を使っています。

 

そこは無人で、一日停めても100円です。

 

その自転車置き場に

ラックに自転車を入れず空きスペースに

無断で自転車を置いている人がいます。

 

その人は、駐輪料金を払わずに

駐輪場を使っていることになります。

つまりズルをしているのです。

 

 

 

いつも同じ自転車なので同じ人だと思いますが

その自転車が私の自転車の出し入れに

ちょっと邪魔だったりするので

私はその自転車を見るたびに

ムカムカしていました。

 

なんてずるい人だろう、

通報してやろうか、と何度も思いました。

 

 

 

その人のやっていることは

私の中のルールでは

やってはいけないことなので

腹立たしく思い、その人を裁きたくなりました。

 

私が裁きを与えたくなり

それが当然のように感じ

私は正しい、当たり前でしょ、と思いました。

 

 

 

 

 

でも、それは違うのです。

 

どんなに自分が正しいように感じたとしても

それは結局、自分の狭い了見で

自分の思い込みを人に押しつけ

人を自分の思い通りにコントロールしようと

していることと同じなのです。

 

私の正しさは万国共通ではないし

ただの私の色眼鏡で

私がそう思っているというだけのことです。

 

その私が思ったことに

周りの人が従わなければならないという

法律などありません。

 

 

 

だから、私にその人を裁く権利はありません。

それは、私のやることではありません。

 

「私の前に不法に置かれた自転車がある」

私にとってはそれだけのことなのです。

 

ただ、そうであるだけなのです。

 

 

 

 

 

そうは言っても

明らかに間違っているじゃない

絶対やっちゃダメなことじゃない

ということに出くわすこともありますよね。

 

これは断罪されるべきだ、と思うようなこと。

 

でも、それでも

犯罪ならば法律が裁きを与えるし

法律に引っかからなくても

結局は自分のやったことは全部自分に

返ってくるという法則によって、全責任は

やった本人が背負うようになっているので

他の誰かが裁く必要はないのです。

 

 

 

不法に自転車を置いた人は

本来払うべき料金を払わず

自転車置き場を運営している人から

奪うという行為をしています。

 

人から奪っている人が

得などするわけがありません。

 

得をしないだけではなく

人から奪われて損をするという現実が

その人には必ず訪れます。

 

自分のやったことは

全部自分に返ってくるからです。

それも何倍にもなって。

 

たった100円を搾取しただけなのに

気の毒なことです。

 

 

 

なので、それはもう決まっているのだから

私は何もする必要がないのです。

 

自分が迷惑をかけられているのなら

対策を講じないといけませんが

そうでないのなら、人のことは

その人に任せればいいのだと思いました。

 

私にとっては、ただ

「不法に置かれた自転車がある」

というだけのこと。

 

 

 

現実をフラットに見るとは

こういうことだと思いました。

 

 

 

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