心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

ひきこもりを生きる

 

 

 

私は、家族相談士という

資格を持っているのですが

資格更新のためには一定時間以上の

研修を受けなければいけません。

 

その研修で、先日

「ひきこもり支援」について学びました。

 

今日は、その学びの中で

心に残ったことを記しておこうと思います。

 

 

*  〜  *  〜  *

 

 

ひきこもりと言われる人は、今や

全国で約146万人いると言われています。

 

「ひきこもり」と聞くと

どうすれば外出できるのか?

どうすれば就労できるのか?

と考えるものです。

 

これが、今、社会に出回っている認識です。

 

でも、この認識が本人にとっては

とても辛いものとなります。

 

ひきこもりは、社会に出ることが苦痛だけど

自死しないで生き延びることを

選択した人たち。

 

それなのに、周りの人達が

本人に何らかの改善を求め

外出や就労を強く望むと

本当に生きられなくなってしまいます。

 

特に、親からの外出、就労への圧力は

本人にとっては暴力となり

傷つけ、絶望させることになります。

 

 

 

 

では、どうすればいいのかというと

まずは本人にとって安全で

安心してひきこもれる環境を作ること。

 

安全、安心の欲求と衣食住の欲求を

保障することを最優先します。

 

人は、ここが満たされないと

意欲、モチベーションは生まれないのです。

 

常にビクビクしていると

そこでエネルギーを使ってしまい

新しいことには心が向かないからです。

 

だから、ひきこもり生活が

安全、安心であることはとても大事です。

 

 

 

 

その上で、ひきこもる場所と

ひきこもる程度を少し変えてみます。

 

例えば、それまで自室だけが居場所だったら

リビングでもいられるようになる、

さらに市役所の会議室にいられるようになる、

繋がるカフェなどにいられるようになる、

など。

 

もちろん本人にとって

安全であることが大前提です。

 

その時に「ここはちょっと合わないな」

と思ったら行かない、減らすという選択も

します。

 

ひきこもる場所は決して右肩上がりで

増えていく一方ではありません。

減ることがあってもOK。

増やしたり、減らしたりします。

 

大事なことは、すべて自己決定すること。

自分で決めるということです。

 

ここなら行ってもいいと思ったら行く。

ここ嫌いと思ったら行かない。

その自己決定が次のチャレンジへと繋がります。

 

 

 

 

基本的に、ひきこもりはゼロにはなりません。

車椅子が必要な人は車椅子で生きます。

それと同じように、ひきこもりの人は

ひきこもりを生きるのです。

 

大多数の常識から外れたところで

少数派としてひきこもりを生きます。

 

これからは、社会の方が

そのように変わらなければなりません。

 

ひきこもり支援の世界では、もうすでに

ひきこもりは自己責任ではなく

社会に責任があるという認識だそうです。

 

だから、本人に変わることを求めるのではなく

社会が変わらなければならないのです。

 

 

 

 

それは、親も同じです。

 

親は、自分の子どもがひきこもりになると

焦り、不安に苛まれます。

 

それは、とてつもない苦痛で

その苦痛を早く手放したい

早く楽になりたいと思うのが普通です。

 

だから

早く子どもを改善したいと思うのです。

 

そこで、親は子どもに変わってもらおうと

さまざまな働きかけをし、圧力をかけ

指示を出し、コントロールをし

選択肢を提示したりします。

 

これが、子どもにとっては暴力となり

子どもは危険を感じ自室へ籠るのです。

 

親が焦れば焦るほど

子どもにとって家は安全でなくなり

ひきこもりは強化されていきます。

 

焦っている親に子どもは本音など言えず

本音を話してもらえないから

親は子どもの気持ちがわからず

結果的に「親の良かれは子どもの迷惑」

という状況になります。

 

 

 

 

なので、親は子どもの変化で

自分の不安を解消しようとするのではなく

自分自身や他者(支援)に働きかけて

解消することが大切です。

 

ひきこもりの親は

大抵「助けて」が言えないそうです。

 

でも、ひきこもりの問題は

他者が関わらなければどうにもなりません。

なので、外部に助けを求めることが大切なのです。

 

 

 

 

ひきこもり本人は「ねばならない」の世界を

生きています。

頭はカチカチで、自立に関しては強迫的。

 

何十年も自分だけで出口を探しています。

いい加減に生きられないそうです。

 

それは、ほとんどの場合、親も同じ。

親もきっちりかっちりしていて常識的。

ひきこもりの親でちゃらんぽらんな人は

いないそうです。

 

だからこそ、子どものひきこもりが許せず

なんとか改善しようとするのです。

 

 

 

 

でも、親としての大切な態度は

本人を変えようとしないこと。

(ここ大事です!)

 

本人は変えないけれど関係を変える。

本人を取り巻く環境を変える。

本人には直接働きかけないこと。

 

それは、つまり、親が変わるということです。

 

親が、子どもの安全安心を尊重したら

子どもは自分ができないことを

提案されることがなくなり、緊張が緩みます。

 

子どもは、家、親が安全だとわかると

自室から出てきてリビングで

くつろげるかもしれません。

親に本音を話せるかもしれません。

 

家でくつろげる、本音を話せる

というのはとても大切で

そうして「快適に」ひきこもるのが

ある意味ゴールでもあるのです。

 

 

 

 

ひきこもりの親が、不安、焦り、挫折を

感じるのは当然です。

本人も辛いけれど、親も孤立して辛い。

 

でも、親が焦っている期間が

長ければ長いほど、子どものひきこもりも

長期化し、深刻化します。

 

だから

自分だけで子どもを抱え込むのではなく

他者に助けてもらい、自分も学び、成長して

自分のネガティブな癖を修正していくこと。

 

まずは親自身が助かることです。

親が癒やされれば

子どもは圧力を感じなくなり、安心していられ

本来の力を発揮することができるのです。

 

でも、それを狙うのではなくて

あくまでも親自身が癒されて

楽に生きられるようになることが大切。

 

そうなれば、もう子どものひきこもりが

気にならなくなっているかもしれません。

 

「みんなそれぞれ違うけど、それでいいよね」

「変わった生き方かもしれないけど

それでも生きてるんだからえらいよね」

と思えるかもしれません。

 

 

 

 

ここまでくると、そう思える親は

「子どもがひきこもりになってくれて

良かった」と言うそうです。

 

ギチギチガチガチだった自分が

強制的に意識改革を迫られて

解放されたのだからそう思うのでしょう。

 

そうなると、その家族にとって

ひきこもりはもう問題ではありません。

 

子どもは本音を語り、快適にひきこもり

(あるいは新しいことを始めるかも)

親は自由に楽しく生きるのです。

 

 

 

 

ひきこもり支援は

外出や就労を支援するのではありません。

問題を解決しようとするのではありません。

本人を変えようとするのではありません。

 

ひきこもりを生きることを支援するのです。

 

 

 

とても勉強になりました。

 

やっぱり、いい加減に生きること

ちゃらんぽらんに生きることも

大切なのだと思いました。

 

 

 

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