心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

第一幕は終わった

 

 

 

昔の日記から。

 

 

 

*  〜  *  〜  *

 

 

 

私が体験した子ども時代。

 

 

 

否定されて

攻撃され続けて

自分の存在に

価値があると思えなかった。

 

 

 

私は無価値で

世界は暗かった。

 

 

 

そんなことがあった。

 

 

 

でも、それは

私の人生の中の

第一幕でしかない。

 

 

 

大人になった今

第一幕の幕を下ろし

第二幕の幕を上げる時がきた。

 

 

 

私は

第一幕で起こった出来事や

関係した人、特に母を

手放して、許す。

 

 

 

第一幕はもうおしまい。

もう終わった。

もう済んだこと。

 

 

 

それは必要な経験だった。

私の人生という物語の中で

必要なくだりだったから設定された。

 

 

 

そのくだりのおかげで

私の人生という物語は

ドラマチックに

おもしろくなった。

 

 

 

私は

第一幕の幕を

きちんと下ろす。

 

 

 

これから始まる第二幕は

私が主人公で

私が自由に躍動するストーリー展開。

 

 

 

それは、第一幕との対比で

より輝く。

 

 

 

そして、私の人生という物語は

ハッピーエンドであることが決まっている。

 

 

 

私は、そういう人生を生きる。

 

 

 

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近くに不機嫌な人がいる時

 

 

 

ある時、夫が不機嫌な時がありました。

 

休みでずっと家にいるのに

近くでずっとブスッとして

イライラして不機嫌そうにしているので

私はこれ以上夫の気分が悪くならないようにと

気を遣って過ごしました。

 

でも、そうしていると

こっちまで気分が悪くなってきて

私もイライラし始めました。

 

 

 

私は、「あ、私も不機嫌になってる。

気分を変えなければ」と思い、ひとりになって

紙に言いたいことを全部書くことにしました。

 

私は、大きめの紙に

自分のイライラの原因である夫について

言いたいことを全部ぶちまけました。

 

そうして自分の不快な気持ちを書いていくと

私の言いたいことは

「自分の機嫌は自分で取れ!」

ということでした。

 

 

 

 

 

ここまできて、ふと気づいたのは

私も、自分の機嫌は自分で取ればいいのだ

ということ。

 

近くに不機嫌な人がいるからといって

それにお付き合いして

影響を受けなくてもいいのです。

 

人の影響を受けないと決めて

自分を守ることもできるのです。

 

 

 

 

 

人の機嫌は人のもの。

私には関係ないことです。

 

これ以上この人の機嫌が悪くならないように

なんて気を遣うのは、人の機嫌を

自分の領域に招き入れる行為です。

 

人の不機嫌を自分の中に入れなくてもいい。

その人の不機嫌の責任は私にはないのです。

 

それに、そうやって気を遣っても

だいたい人の機嫌なんて直らないものです。

 

 

 

 

 

私は、エンパス気質で、人の気持ちに

共感し過ぎてしまうところがあります。

エンパスの人は、人の気持ちが

自動的に入ってきてしまうのです。

 

だからこそ、意識してコントロールして

自分を守れるようになることが

必要なのだと思いました。

 

 

 

具体的には

・人との間に境界線をきっちり引く

・人のことは構わない

・人と充分に距離を取る

・みぞおちの辺りで両腕を組む

・自分が光のカプセルに入ってると

イメージして自分にバリアをはる

などなど。

 

 

こうして、自分の周りにバリアを張って

人の怒りやネガティブな感情の影響を

受けないように自分を守ることは

本当に大切なことだと思います。

 

近くに不機嫌な人がいる時もそうですし

人混みなどでも知らずに影響を受けているので

バリアを張って守ります。

 

 

 

そうして、自分の心を守り

周りがどうであれ

自分は機嫌良く過ごすことができたら

いいなと思います。

 

これは、つまり

「自分の心は自分で守る」=

「自分の機嫌は自分で取る」ということです。

 

それは、自分の機嫌は自分に責任があり

自分の人生は自分が創造しているのだ

ということに繋がります。

 

誰々がこうだから気分悪いというのは

自分の機嫌の責任を人のせいにしています。

 

全責任は自分にあるのです。

 

 

 

 

 

夫に対する不快な気持ちを掘っていったら

ここまで行きつきました。

 

夫に対して言いたかった

「自分の機嫌は自分で取れ!」は

私自身に対するメッセージだったのです。

 

腹が立った時に相手に言いたいことは

その時の自分に対する言葉だと言われますが

本当にそうです。

 

 

 

私は、人の影響を受け過ぎないように

自分を守ることを学んだのでした。

 

 

 

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母への手紙

 

 

 

最近、身軽になりたくて

やたらとモノを捨てて断捨離しています。

 

そんなわけで、今日も

ドレッサーの引き出しを整理していたら

数年前、母に宛てて書いた手紙が出てきました。

 

その手紙は、実際に母に出したわけではなく

ただ紙に書いて自分の気持ちを確かめて

そのまましまってあったものです。

 

母親との確執に苦しんでいる方に

伝えられることがあるのかわかりませんが

一応、ここに書いて残しておこうと思います。

 

以下、手紙です。

 

 

 

*  〜  *  〜  *

 

 

 

お母さんへ

 

お母さんに会いたくなくて

今年も帰りませんでした。

 

お母さんに会うと、私はなんだか

自分がダメに思えて、自信がなくなり

元気もなくなり、しんどくなってしまいます。

私は、辛い思いをしたくないので

お母さんに会わないことを選びました。

 

 

 

子どもの頃からずっと、私は

お母さんと一緒にいると辛かった。

怒りやイライラをぶつけられると

私はとても怖くて、動けなくなってしまい

同時に、とても悲しかった。

 

私はダメな子なんだ、

お母さんは私のことが嫌いみたいだ、

私なんていなくなればいいのに、

と、いつも思っていました。

 

 

 

私は、何をやってもダメでしたね。

何をやっても、お母さんの気にいるようには

できませんでした。

 

私が、私のままでいたら、お母さんは

私を受け入れてくれないのですよね。

 

私は、私という存在が否定されて

受け入れてもらえないことが

本当に、本当に、悲しかったのです。

 

 

 

私は辛くて、受け入れてくれないお母さんに

強い怒りを覚えました。

 

それでも、心の底では

いつもお母さんに褒めてもらいたくて

私を好きになってほしくて

胸を焦がしていました。

 

(中略)

 

こんな私が、お母さんの子でごめんなさい。

私は、お母さんに笑顔になってほしかった。

お母さんに幸せになってほしかった。

 

それだけが、子どもの頃の

私の願いだったのです。

でも、どうがんばっても私にはできなくて

私は自分に絶望しました。

 

 

 

お母さん、私はいつでも

お母さんが大好きだったのです。

本当に、ただ、ただ、そうでした。

 

でも、私の求める関係は得られず

お母さんの求める子どもにもなれませんでした。

 

お互いに求めたものは得られず

相手には与えられず

絆を上手に築くことができませんでしたね。

 

今となっては、それもひとつの関係として

仕方のないことだと思います。

 

 

 

 

最後になりましたが

私を立派な大人に育ててくれて

ありがとうございました。

 

私にご飯を食べさせ、洋服を着せて

学校に通わせ、寝る場所を用意してくれ

きちんと躾をしてくれましたね。

 

お母さんが

子育てを一生懸命やってくれたおかげで

今の私がいます。

 

私が今、社会に適応できるのは

お母さんがきちんと育ててくれたからです。

感謝しています。

 

 

 

お母さん

私をこの世に送り出してくれてありがとう。

お母さんの役をやってくれてありがとう。

 

お母さんの愛を受け取って

これからは私の人生を歩いていきます。

 

私は、お母さんとの関係を祝福して

お母さんが幸せであることを願っています。

 

お母さん、ありがとう。

 

 

 

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変化を受け入れる

 

 

 

人間は

生まれてから年老いてなくなるまで

常に変化し続けています。

 

それは、人それぞれに違うことが起こり

違う成長をしていくのですが

多くの人が辿るライフサイクル

というものがあります。

 

 

 

 

例えば、青年期を経て

結婚して、子どもができて

子どもが成長して巣立ち

親の介護が始まり

自分も年老いていく、というような。

 

 

このように

人生とは変化の連続です。

 

その変化する時に不安定になると

問題が起きます。

 

 

 

 

 

例えば、結婚という変化では

ふたつの異なる文化の融合が起こります。

 

そこで、ふたりで話し合って

新しいシステムを作れればいいのですが

それがうまくいかないと

離婚やDVなどの問題が起こります。

 

ここでは、いかに

夫婦間でコミュニケーションを取って

折り合いをつけられるかがポイントです。

 

 

 

それがクリアできると

次は子どもが生まれます。

 

ここでは

今まで夫婦だけの二者関係だったのが

子どもを含む三者関係に変化します。

 

そこで、この三者関係に適応できるかが

ポイントになるのですが

うまくいかないと、虐待や浮気、鬱

依存症などの問題が起きます。

 

三者関係に適応するには

やっぱり夫婦間コミュニケーションが大切で

きちんと問題に直面して対策を練り

相手を気遣い、助けるという

人間的な成長が必要となります。

 

 

 

そして、子どもが成長してくれば

それに合わせて、親も柔軟に手を緩め

子どもが自立できるように

背中を押してあげなければなりません。

 

それがうまくいかないと

子どもの反抗期がキツくなったり

不登校になったりと問題が起こります。

 

この時期、いかに親が柔軟に、臨機応変

対応するのかがポイントになります。

子どもの様子を見て、その時その時によって

保護的にするのか、任せるのかということです。

 

 

 

そして、子どもが自立すると

夫婦はまた二者関係に戻ります。

 

この時に、夫婦として

親密な協力関係を再構築しないと

空の巣症候群や鬱などの問題が起こります。

 

この年齢になると

社会的な役割にも変化が起こり

親としての役割もなくなるので

喪失感や孤立感を感じます。

 

この喪失感、孤立感の克服が

スムーズに適応するためのポイントです。

 

 

 

もっと歳を取ってくると

今度は自分が子どもに従う側になります。

 

自分の老化に適応して

死への準備を始めていく時期です。

 

この時期は、とにかくさまざまなものを

喪失していきます。

親役割、社会的役割、身体能力

親や配偶者、友人などの死、などなど。

 

このような喪失体験によって

孤立感が深まる時期です。

 

この時期の問題としては

介護問題、虐待、鬱などがあります。

 

この時期は、これらの変化を受け入れて

諦観できるかがポイントです。

 

 

 

 

 

 

ライフサイクルには

各段階に課題があって

その段階の課題をクリアしないと

次に移行できないようになっています。

 

その移行期(変化する時)に

問題が起こる傾向があります。

 

 

 

 

 

ここに書いたライフサイクルは

典型的なひとつの例で「これが普通ですよ」

と言っているのではありません。

 

現代では、結婚しない人

子どもを持たない人も多く

単独世帯は2040年には

40%に達すると言われています。

 

でも、単身者であっても

自分は歳を取っていくわけで

それに伴って社会的役割の変化や

自分の老化、親や友人の死など

人生が変化の連続であることには

変わりありません。

 

 

 

 

 

 

こんなふうに人の一生は変化の連続なのです。

 

そして、その変化にうまく適応できないと

人生で躓くのだということがわかります。

 

変化をどのように乗り切るのかというと

私はやっぱり「受け入れること」

なのだと思います。

 

 

自分と違う相手を受け入れる。

環境の変化を受け入れる。

自分の役割の変化を受け入れる。

相手との関係の変化を受け入れる。

状況の変化を受け入れる。

失うことを受け入れる。

自分の老化を受け入れる。

自分の死を受け入れる。

などなど。

 

 

問題が起こっている時は

たぶん何かを受け入れてないのです。

 

人生とは変化していくもの。

 

変わりたくない!としがみついていると

問題が起こり、苦しいだけです。

 

 

 

人生を楽に、快適に過ごしていく秘訣は

柔軟に、臨機応変に、時には諦めて

変化を「受け入れること」なのです。

 

ふわふわと、かるくかるく。

 

 

 

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答えは自分の心が望むもの

 

 

 

私は、いつも自分を責めて

もっとがんばって

もっと立派な人になって

自分ではない何者かに

なろうとしていた。

 

人より優れた

特別な人になりたかった。

 

 

 

自分のことを自分で決められず

人生を自分で創っている自覚もなかった。

 

正しい答えを誰かに教えてもらおうと

外側ばかり見ていた。

自分の外側の人や情報に

答えを求めていた。

 

 

 

いかに依存していたか。

いかに自分を信用していなかったか。

 

 

 

根底には、いつも自己否定があった。

 

 

 

本当は

優れた人など目指さなくていいのだ。

 

自分のままで

笑ったり、怒ったり、泣いたりしながら

自分を生きればいいのだ。

 

 

 

願いがなかなか思い通りにならない地球に

あえて「もどかしさ」を経験しに来た魂。

 

今、存分に地球を体験し

目的を果たし続けている。

 

立派になることが目的じゃない。

自分自身を体験することが目的。

 

 

 

何も目指さなくていい。

何も変えなくていい。

 

 

 

「今」「自分」を楽しむ。

「自分」を愛する。

「自分」だけを信用する。

 

 

 

答えに正しいもなにもない。

 

答えは自分の心が望んだもの。

答えは外側じゃなくて

自分の心にある。

 

心のまま、思うままに

自分であることを楽しめばいい。

 

 

 

それが、私のやりたいこと。

 

 

 

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ほんの僅かな変化

 

 

 

昔の日記から。

 

 

*  〜  *  〜  *

 

 

 

進みたいのに

成長したいのに

 

進めない。

成長できない。

 

 

 

不甲斐ない自分に

どうしても

「できていない」と

バツをつける。

 

 

 

でも、本当はちゃんと

「進んでいる」

「成長している」。

 

 

いっぺんに進もうとしないで。

いっぺんに成長しようとしないで。

 

焦ると選択を間違える。

 

ちゃんと進んで

着々と成長しているから

焦らなくても大丈夫。

 

 

 

ちゃんと落ち着いて自分を見て

「できている」

「進んでいる」

「がんばっている」

と、認めてあげよう。

 

ほんの僅かな成長

ほんの僅かな変化を

見逃さないで

大切にすくい上げてあげよう。

 

 

 

自分は

ほんの僅かな変化を積み重ねて

ちゃんと成長している。

 

それを

自分がちゃんと気づいて

褒めてあげること。

 

 

 

いつでも

どんな時でも

自分はダメじゃない。

 

 

 

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専業主婦の役割

 

 

 

私は専業主婦です。

働いていなくて自分の収入がありません。

 

そのことにずっと罪悪感があって

後ろめたくて、自分のために

お金を使うことに抵抗がありました。

 

自分のためにお金を使ったら

申し訳ないと思い

自分にお金を使うことを

ずっと許していませんでした。

 

「私は、お金を稼いでないから

何も生み出していない。

専業主婦には価値がない。

無職には価値がない。」と思っていました。

 

 

 

 

 

でも、お金という目に見えるものだけで

すべてを判断するのではなく

目に見えないエネルギーというもので

この世を見渡してみると

その考え方は違うなと思いました。

 

 

 

この世はすべてがエネルギーで

お金ももちろんエネルギーで

それが互いに影響し合っています。

 

お店では、お金というエネルギーを渡して

品物やサービスというエネルギーを受け取る

というエネルギー交換が行われています。

 

物々交換ならぬエネルギー交換です。

 

そうやって社会では

エネルギーをあげたり、受け取ったりして

エネルギーを循環させて

成り立っているのです。

 

 

 

それが同等だと調和が取れているように感じ

バランスが悪いと、一方が

搾取されたように感じ、気分が悪くなります。

 

詐欺や強盗など人のものを盗るのは

一方的に人からエネルギーを奪う行為なので

被害者の痛みは大きいです。

 

そこまで酷いことではなくても

人に延々と愚痴を聞いてもらうとか

いつも自分が注目されるように仕向けるとか

自分が褒められるように仕向けるとか

人に意地悪して凹ますなどは

人からエネルギーを奪う行為です。

 

だから、それらをされた人は

イラッとしたり、モヤッとしたり

落ち込んだり、妙に疲れたりします。

 

一方的にエネルギーを奪われたからです。

 

 

 

 

 

さて、前置きが長くなりましたが

専業主婦の話です。

 

 

そうやって全てをエネルギーとして見ると

専業主婦は何も生み出していない

わけでもないのです。

 

お金を発生させることはできませんが

専業主婦はたくさんのエネルギーを

人に与えているのです。

 

物理的に家事という労働をすること

人(家族)に優しくすること

気遣いをすること、笑顔でいることなどで

自分のエネルギーをあげています。

 

人に優しくすることや笑顔でいることは

人にエネルギーをあげる行為で、だから

それをされた人は気分がよくなるのです。

 

 

 

生活に必要な足りないものを補充したり

家族の健康を考えたり

何かあったら家族のサポートをしたり

家の中を快適に過ごせるように気遣うのは

感情労働と言われています。

 

それをしたからと言って

何も生み出さないし

名前が付くような立派な仕事でもないけれど

その誰かの感情労働のおかげで

家族は仕事に打ち込めたり

遊んだり、勉強に集中したりできるのです。

 

 

 

特に、専業主婦という

言葉は悪いですが「遊びの人員」がいることで

家族は安心でき、社会はこの

「遊びの人員」に底から支えられています。

 

無償で、介護や育児を

請け負っているのですから。

 

無償でやってくれる人がいなくなって

すべての介護や育児、その他支援を

お金を払ってプロにやってもらうとなると

財政も人手も足りなくなるでしょう。

 

 

 

家族療法でも、「遊びの人員」は

家族の中で重要な役割を

果たしていると言われます。

 

女性の社会進出で大人全員が仕事を持つと

みんなが余裕がなくて

その疲弊によって家庭がギスギスして

子どもなど、弱いところに

問題が起きることが増えたそうです。

 

もちろん女性の社会進出が悪い

ということではありません。

 

何もしていないようでいて

専業主婦にも社会の中に役割があるのだ

という話です。

 

 

 

 

 

私は、無職で無収入だけれども

家事をすること、笑顔でいることなどで

自分のエネルギーをあげています。

 

自分のエネルギーをあげて

お金、自由、時間、快適さなどの

エネルギーを受け取っているのです。

今ある豊かさを受け取っているのです。

 

 

 

だから、いただいたお金を(時間や自由も)

自分を喜ばすために楽しく使って

ウキウキ、ワクワク、優雅に

のんびりすることを

自分に許してあげようと思いました。

 

私はもう、それ相応のものを

あげているのです。

 

そのことに自信を持っていたいです。

 

 

 

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