心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

色眼鏡を薄くしよう

私は、以前は

人からアドバイスされるのが苦手でした。

 

 

 

別に反抗的な態度を取ったりするわけではなく

表面上は素直に聞いているのですが

内心は、なんとも言えない

嫌な気持ちになるのでした。

 

 

 

これはなぜなのかというと

子どもの頃の無力な自分を思い出すからです。

 

子どもの頃、いつも親から指示されて

その通りに動いていた。

自分では何もできない。何も決められない。

無力な自分を思い出すのです。

 

その時の屈辱感を再体験するから

ものすごく嫌な気分になるのです。

 

 

 

本当は、そのアドバイスは善意からで

私にとっては良い情報であるかもしれないのに

そうとは受け取れませんでした。

 

他の人なら、そんな変な感情を湧かせずに

ただ「ありがとう♪」で済む話なのに

私は引っかかりを感じていました。

(笑顔で「ありがとう」は言います)

 

 

 

 

 

私は「私に指示やアドバイスをする人は

私を下に見ている。私をバカにしている。

今の私をダメだと思っている」

という色眼鏡をかけていたのでした。

 

 

 

 

 

 

人間は、誰しもその人独自の

色眼鏡をかけていると言われています。

 

その人の育ってきた環境、経験してきたこと

などでその人の色眼鏡が決まります。

 

 

 

 

よく使われる例で

「教室に入ったらみんなが笑っていた」

というのがあります。

 

過去の経験によっては

「私のことを笑われた。バカにされた」

と嫌な気分になる人もいます。

 

でも、ただ「みんな楽しそうだなぁ」

と思う人もいるのです。

 

事実は「みんなが笑っていた」というだけ。

その事実に意味づけをしているのは

各々自分なのです。

 

 

 

 

 

事実に意味はないかもしれません。

でもその人なりの意味づけをするのが

色眼鏡です。

「その人にはそう見える」ということです。

 

その人の過去に何があったか。

それによって、起こったことに対する

捉え方、解釈の仕方に違いが出ます。

その捉え方、解釈はその人だけのものです。

それが、その人の色眼鏡です。

 

 

 

 

色眼鏡をかけてない人はいません。

色の違い、濃さはそれぞれ違います。

 

色眼鏡の色の濃さがものすごく濃いと

生きづらい人になります。

自分の思い込みで

がんじがらめになっている状態です。

 

 

 

 

「色眼鏡はなるべく薄くしよう」というのが

生きづらさ克服には大切です。

 

色眼鏡が薄いというのは

事実をありのまま、客観的に見られる

ということです。

 

事実を事実のまま、客観的に見られると

自分の感情を波立たせることなく

ものごとに対処できるようになります。

 

みんなが笑っていたら

「みんなが笑っている」というだけ。

人からアドバイスされたら

「人からアドバイスされた」というだけ。

 

そこに「バカにされた」「見下された」

「笑われた」という意味はくっつきません。

 

そうなると

すっきりと穏やかな心を保つことができます。

 

 

 

 

 

私が、人からアドバイスされると

嫌な気分になるのも

私の過去の経験からの独自の反応です。

 

私の心の傷に触れたから

嫌な気分になったのです。

 

周りの出来事は

本当は意味はなく、ただのスイッチ。

私の心の傷に触っただけです。

 

だから、出来事と自分の感情を

切り離して考えます。

 

私は「嫌な気分として上がってきた

尊重されたい幼児の自分の感情を受け止めて

言いたいことをちゃんと全部聴いてあげる。

気持ちを聴いてあげる」

ということをしました。

 

「モヤッとしたら、自分の傷を認めて

癒やしてあげる」

ということを繰り返しました。

 

 

 

 

 

こうして、ひとつ

色眼鏡が薄くなったのでした。

 

 

 

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