心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

母親の顔色を伺うことをやめる

 

 

以前、毎年実家に里帰りしていた頃

母親と一緒に3日も過ごすと

私は、頭痛、吐き気、めまいなどの

体調不良に襲われてました。

 

 

 

 

 

私の母は、私を支配し、否定する

いわゆる毒親だったのです。

 

モタモタしたり

何か、母の思い通りにならないことや

母の気に触ることをすると

人格否定の暴言や命令の

金切り声が飛んできます。

 

いい大人になっても

私は、そうやって母から責められることが

恐ろしくてたまりませんでした。

 

 

 

 

母から人格否定され、責められた時の

嫌な感情をいつでも覚えていて

その感情を味わいたくないと

私は、母を怒らせないように

母の気に入るようにと気を遣っていました。

 

責められる怖れから、母の顔色を伺って

先回りして気を遣っていると

私の体が持たなくなり具合が悪くなりました。

 

 

 

 

 

 

それは、私の意識が

「怖れ」にフォーカスしているからです。

 

 

 

母の顔色、母の機嫌に注目して

怖れているから

私は、自分の中が空っぽになって

自分を見失ってしまっていたのです。

 

そんな自分がお留守の状態では

健全でいられるはずがありません。

 

 

 

 

 

 

ある年の帰省の時、やっぱり具合が悪くなって

「私は人のことばかり気にしている。

怖れよりも自分の喜びにフォーカスしよう」

と気づき、そうしてみました。

 

自分のふるさとの優しい自然や

実家で飼っている猫、おいしい食べもの

穏やかな父との関わり、など

その時の自分の喜び、楽しみに

自分の意識をフォーカスしました。

 

すると、すぐに体調は良くなって

気持ちも落ち着いたのです。

 

 

 

 

 

もちろん、母を気遣わないことで、責められ

傷つけられるかもしれないという

心配はあったけれども

私が自分を大切にして、もしそうなったら

その時は、母から、その場から逃げよう

と決めていました。

 

そうやって自分を守ることを決めていました。

 

 

 

そう自分の意識が変わると、実際には

怖れていることは起こりませんでした。

 

母の機嫌を伺っている時の方が

よっぽど否定されて傷つけられ

自分の喜びにフォーカスして

「傷つけられたら母を切る」と決めたら

ほとんどそういうことはなくなったのです。

 

おもしろいものだな、と思いました。

 

 

 

 

 

 

母の観念と私の観念は

あまりにもかけ離れすぎていて

その母の観念に影響を受けたり

縛られたりすることが

いかに無意味で、いかに無駄なことか

私は気づきました。

 

私の世界と母の世界は交わらないけれど

それぞれに、それでいいのだなと思いました。

 

私は、私の喜びにフォーカスする

私の世界を生きればいい。

私の喜びが一番大事なのです。

 

 

 

 

 

 

私は、母に否定されることが恐ろしいけれど

いつか、否定されても気にならない自分に

なれるのかと思ってました。

 

心が成長すれば、人の言うことに

動じない自分になれるのでは、と。

 

でも、今は、そんな自分にならなくていい

と思ってます。

 

 

 

否定されたら悲しい。

元気がなくなって傷つく。

それが、あるがままです。

 

そんな私のままでいればいい。

このままでもいい。傷ついていい。

強くならなくていい。

私は、強くなれない自分を受け入れました。

 

 

 

 

 

 

結局、この問題の受け取り方は

 

怖れから母に気を遣うことでもなく

回避しようとすることでもなく

拒否することでも

母を変えようとすることでも

わかり合おうとすることでも

無視することでも

強い自分になろうとすることでもなく

 

たぶん「それは、ただそうであるだけ」

と認識するだけでいいのです。

 

それだけでいいのです。

 

 

 

 

 

私は、人のことなどにかまっている暇はない

自分の喜び、自分の世界に集中しよう

と思いました。

 

 

 

f:id:miiko-3:20210602210920j:image