心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

人のためにばかり動いてしまう

 

 

毒親育ちでアダルトチルドレンの私は

常に周りに気を配り

人の気分が良くなるように動いて

生きていました。

 

 

 

いつも周りを見渡して

つまらなそうにしてる人がいたら

その人が気になって

声をかけて楽しませたり

 

悩んでいる人がいれば

「さあ、出番!」とばかりに

親身になって長々と話を聴いたり

 

美容室やマッサージなどに行くと

その場を盛り上げようと

一生懸命、話を振ったりしました。

私がお客さんなのですが…

 

 

 

自分の中が空っぽでお留守だった頃は

こうした私の対応で

周りの人が笑顔になってくれると

「良かった」と安心したものです。

 

私は、人の表情が曇るのが何より怖いので

笑顔でいてくれると安心するのです。

 

 

 

 

 

 

けれど、意識の矢印が自分に向き

今の自分の気持ちや疲れ具合などが

自覚でき始めると

周りの人を笑顔にすることが

しんどくなってきました。

 

 

 

私は、周りの人の笑顔のために

自分のことはそっちのけで

自分の持っている時間、体力、知識

エネルギーを差し出していました。

 

とりわけ、人の話を一方的に長時間聴くのは

自分の貴重な時間、気力、体力を

丸々相手に差し出す行為でした。

 

しかも、だいたいネガティブな話なので

そのネガティブなエネルギーも

受け取っている状態です。

 

それが定期的に、週に何回もとなると

私は次第に疲れが蓄積していき

最後には体調を崩して

その人を支えることが困難になりました。

 

 

 

こういうことをお仕事でしていて

相応の対価を受け取っていれば

こういうことにはならないでしょう。

 

それは、与えるエネルギーと

受け取るエネルギーが同等で

バランスが取れているからです。

 

 

 

 

また、自分自身を生きていて

自分の喜びのためにやっていても

こうはならないでしょう。

 

それは、そうすることが自分の喜びなので

自分はやりたいことをやっているだけで

苦痛ではないですし

相手が感謝してくれたら

それはそのままご褒美として

受け取れるからです。

 

この場合も、与えるものと

受け取るもののバランスが良く

調和が取れています。

 

 

 

 

 

でも、私は自分の喜びのために

やっているわけではありませんでした。

 

私は、周りの人のために

自分を役立てなければと思い

「ねばならない」という観念で

その行動の選択をしていたのです。

 

意識の上では「こうしたい」と

あたかも自分の選択のように感じていますが

それはエゴからの選択で

「そうしなければいけないのだ。

自分には価値がないのだから。

自分の居場所などないのだから」という

恐怖からの選択なのでした。

 

恐怖から選択した場合

どんなに自分のものを差し出しても

「感謝」というご褒美は

自分のところへは届きません。

 

自分自身のままで喜びから与えた時に

「感謝」というご褒美は受け取れるのです。

 

 

 

私は「自分を認めてもらいたい」

「自分の居場所を確保したい」という

マイナスの、不足のところから

自分を差し出したので受け取れるものはなく

一方的にエネルギーを与え続けることに

なったのです。

 

うまく伝えられている気がしませんが

私は、人のためにやってあげる一方で

最後には自分の中のエネルギーが

枯渇して具合が悪くなってしまいました。

 

 

 

 

 

 

アダルトチルドレンは、こうなってしまう人が

多いのではないでしょうか?

 

いつでも自分だけが

一方的にやってあげるばかりで

「なんだかなー」という気分になる

というのはよくありそうです。

 

 

 

 

 

本来、人と人との関係は相互的で

「あげる」と「受け取る」は等価交換で

バランスが取れていると気持ちいいのです。

 

どちらかが一方的にあげるだけ

もしくは受け取るだけ、というのは

バランスが悪くて気持ち悪いです。

 

もちろん、あげる一方だけれども

「あげている私」という状態であることで

自分を保てている人もいます。

 

ですが、「なんだか疲れちゃったなー」

と思うのなら、それは

一旦立ち止まる時かもしれません。

 

 

 

 

 

 

私も、人のためにばかり動いて

挙げ句の果てに体調を崩したことがきっかけで

「自分は何をやってるんだろうか?」

と自分と向き合うことになりました。

 

そうして自分と向き合うと

自分が人のためにいろいろやるのは

人からの評価が欲しかったり

なりたい自分になろうとしていたり

人の期待に応えようとしていたのだ

とわかりました。

 

 

 

そして、もううんざりだ!と思いました。

 

人の顔色を伺ったり、人に気を遣ったり

人を優先したり、人のためにと動くのは

もういい加減嫌になったのです。

 

私は疲れ果てていました。

 

人の顔色とかどうでもいい。

これ以上は人のために生きられない。

自分が死んでしまう。

自分を救わなければいけない。

 

私は、自分を救おうと決めました。

この時、本当の私が

ブチギレてくれたおかげで今の私がいます。

 

 

 

 

 

 

以来、私は

優しい人のふりをするのをやめました。

 

人と関わる時

それは本当に自分がやりたいのか?

自分の望みなのか?を

自分に問うようにしています。

 

そうしないと、自動操縦で勝手に

人のために動いてしまうからです。

 

 

 

常に「自分は人を優先させているのだ」

ということにも気づいていられるように

意識しました。

 

そのうえで、本当の自分を労ります。

 

本当にやりたいことをやり

やりたくないことはやらない。

具合が悪ければ休む。

罪悪感を抱かない。

人の顔色と自分は関係ない。

 

そこで始めて、自分に力が戻ってきます。

 

こうでなければならないという

決まりは何ひとつなく

その時の自分ができることをする。

休みたければ休む。

それでいいのです。

 

自分を元気にするには

自分の言い分を

100%聴いてあげることです。

 

 

 

 

 

 

何かしようとした時

「動けない」「疲れる」なら

それは自分の本当にしたいことでは

ありません。

 

自分自身でいることがどっか行っちゃって

本当の自分を見失っているかもしれません。

 

それは、人のためにしようとしていないか

人の期待に応えようとしていないか

人からの評価のためではないか

チェックしてみるといいでしょう。

 

「自分のままで、自分のしたいことをする」

と楽しくて、疲れたりしません。

 

 

 

「疲れる」は

「違うよ」のサインなのです。

 

 

 

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