心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

エゴが激怒して私を責めている

 

 

以前の私は

いつも自分を責めてばかりいました。

 

 

 

なんだかモヤモヤざわざわする時

その気持ちを掘り下げていくと

必ず、自分を責める声に行きつきました。

 

 

 

 

エゴは、いつも元気でやる気が漲り

ワクワクと人生を充実させることを

理想としています。

 

なので、そうじゃない自分

不調な自分、めんどくさい自分を

咎めています。

 

エゴは、自分の肉体に感謝するどころか

不調になる体に腹を立てて

「そんなに弱いのなら消えろ!」と怒ります。

 

 

 

私は、虚弱で自分の思い通りにならない

この体が嫌いでした。

 

体のことも、自分自身のことも許せなくて

「どうしてできない?

どうして立派になれない?

お前は何もできないダメ人間だ」

と怒りでいっぱいでした。

 

エゴが、理想通りにできない自分に

激怒していました。

 

 

 

私は、その怒りの声をすべて聴きました。

そして、「エゴの望みはわかった。

そう思っているんだね」と受け止めました。

 

そうして、自分に対する怒りの声を全部聴いて

受け止めたら、なんとなく

少し気持ちが楽になった気がしました。

 

 

 

 

 

そして、そのあと

エゴの言う「不調な自分はダメ」という言葉を

「本当にそうだろうか?」と思いました。

 

 

 

人間は、心や体に偏りがあると、

それを戻そうとする機能を持っています。

その戻そうとする時に

痛みや風邪や不調となって現れます。

 

その不調は

人間が自然の一部である証拠です。

自然であることの現れなのです。

 

だから、たまに不調になったり

体調に波があるのは自然なことなのです。

 

 

 

私は、エゴこそが

理想に執着して偏っていると思いました。

エゴの望みは自然に反しています。

いつも元気いっぱいなんて、不自然です。

 

その不自然なエゴの望みを

自分を責めながら

叶えなければならないのでしょうか?

 

私は、その必要がないことに気づきました。

 

 

 

 

 

私は、エゴの理想は認識しつつも

自分の自然な状態は

そのまま受け入れようと思いました。

 

 

 

私は、何も否定しないし

何とも戦わない。

 

私は、自分にこうあってほしいと期待しない。

私は、自分にこうあってほしいと要求しない。

私は、自分を責めない。

私は、自分を罰しない。

 

できない自分を許し、受け入れる。

エゴの言う理想や

こうでなければならないものと

私は違うけれど、私を許す。

そのまま許す。

 

 

 

もう、私のことを許す。

 

 

 

 

 

 

私は、自分という存在が

どんな存在であるか自覚して

敬意を払おうと思いました。

 

 

 

私は、命です。

 

 

 

私は、私のままでいいのです。

 

 

 

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