心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

笑顔以外の顔をしてもいい

 

 

 

私は、親に傷つけられたくなかった。

 

でもこの環境にいるということは

私は、このことから

何を学ぼうとしたのだろうか?

 

何に気づこうとしたのだろうか?

 

この問題にかかりきりで

私はまだ自分の人生を生きていない。

もう何十年も経ってしまっているのに。

 

 

 

限りある人生の時間を無駄にできないと

私は焦っていた。

 

早く問題を解決して

早く充実した人生を送らなくちゃ、と。

 

 

 

これは、今を否定しているエゴの声。

 

そもそも焦りを感じている時点で

自分が世界の中心からずれている。

 

やっぱり自分を責めていて

それじゃダメだ

もっとキラキラしなくちゃ

人と比べて自分はなんて惨めなんだ

とか、エゴに頭の中で言われていた。

 

 

 

「私は、これからV字回復して

元気になって充実した人生を送る。

それが本当の自分なんだ。」と思っていた。

 

だから今の自分は偽りの姿だ、と。

 

 

 

今の自分を受け入れていなかったのだ。

 

傷ついて弱っている自分は嫌だ。

具合の悪い自分は嫌だ。

不安に苦しんで家にこもっている自分は

本当の自分じゃない。

 

そう思っていた。

 

 

 

私は、今の自分を拒否していた。

今の自分に抵抗していた。

 

 

 

私は間違っていたのだ。

 

そのことに気づいて

自分に起きていること

自分の状況を受け入れようと思った。

 

体を緩め、リラックスして

自分の快、不快を大切にしていく。

人と比べない。

自分自身のままでいればいい。

 

 

 

私は傷ついて弱っている自分を受け入れる。

自分にも体調不良の時があると受け入れる。

不安で苦しくて

活動的になれない自分を受け入れる。

今のありのままの自分を受け入れる。

 

そう宣言した。

 

 

 

そして、エゴには

「エゴさん、私を幸せにしようと

アドバイスをくれてありがとう。

でも、私は私のやり方で

私のペースでやっていこうと思う。

その結果は私が引き受けるから大丈夫です。

私は大人になったからもう大丈夫です。

今までありがとう。」と言った。

 

 

 

*  〜  *  〜  *

 

 

 

そんなふうに自分の弱さを受け入れると

今度はまた別の引っかかりが生まれた。

 

 

 

周りの人たち、特に家族が

私の笑顔を願っている。

いつも元気で、好きなことを活動的にして

人生を楽しむことを願っている。

 

それは、もちろん愛からの願いで

大切に思うからこその願いだ。

私だって、家族に対して

そう思っているところはある。

 

 

自分自身でもそうありたいと願っている。

でも、私の笑顔は人の望みでもあった。

 

でも、本当にそれを望むのなら

今すぐにそうすればいい。

なのに、そうしないのはできないからだ。

 

傷ついて、弱くて、怖くて、できないのだ。

 

そんな輝けない姿は

人や自分の望みの姿とは違う。

 

 

 

そんな傷ついて弱くて怖い自分

かっこ悪くて惨めな自分は

受け入れられなかったけれど

私はそんな自分を受け入れて

そのままでいいと許したのだ。

 

それは

周りの人の願いを叶えられないことになる。

それが私は辛かった。

 

私は、それが辛かったのだ。

人を喜ばせられないから。

 

私は、人を喜ばすために

自分がイキイキしようとしていた。

 

 

 

まったく、誰の人生なのだろう?

なんてバカらしいのだろう。

人の期待に応えようと

人のために生きるなんて。

 

このことに気づき

私は傷ついて怖がっている自分を抱きしめて

「ごめんね、ごめんね」と謝った。

そして「これからはずっと一緒にいよう」

と言った。

 

自分を大切にすると誓った。

 

涙が溢れた。

 

 

 

 

 

人の笑顔を願うことは

みんな当たり前のようにしている。

私だってしている。

 

それが良いことのように思われている。

人の笑顔を願うのは

美しいことだと思われている。

 

人とはそういうものだろうし

笑顔であってほしいというのは

実際美しいことだと思う。

 

 

でも、本当は誰だって

泣いたり、怒ったり、笑顔以外の顔をする。

 

笑顔以外の顔をする権利がある。

 

笑顔しか見せられないというのは

辛いことだ。

笑顔しか歓迎されなかったら

その人はその場では

辛さや弱さを隠すだろう。

 

そこは、その人にとって

くつろげる場所だろうか?

 

 

 

「その人のどんな顔だって受け入れる」

というのが本当の愛だと思う。

 

そう思ってもらえる時

人は心からくつろげるのだ。

 

 

 

ちなみに

私はもう自分を偽るのが無理だったので

家族にも「しんどい。辛い。怖い。」など

ぶちまけたら、もちろん

歓迎されたわけではないけれど

受け入れざるを得ないという感じで

受け入れてくれた。

 

「こんな自分じゃないと受け入れられない」

というのも幻想だった。

 

 

 

だから、周りがどうのこうのじゃなく

基本は「自分に正直に」

「自分の心に沿って」なのだと思う。

 

 

 

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