心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

私はひとりぼっちという傷

 

 

 

誰かの何気ない言葉にモヤモヤしたり

落ち込んだりすることがあります。

 

 

 

私の場合、その言葉が

「私はできてない」と感じさせると

猛烈にモヤモヤしました。

 

もちろん「できてない」なんて

言われていません。

誰にも否定されていません。

 

私の仕事を上司が他の人に頼んだ、とか

そんな程度で、そこには悪意なんて

1ミリもないのです。

 

 

 

それはわかっているのにモヤモヤするので

私は自分の気持ちを掘ってみました。

 

 

 

すると、私の中でその上司の言葉は

「お前は役に立たない。お前はいらない。」

に変換されていたのです。

 

まるでそう言われたように感じ

悲しく傷ついた気持ちになっていました。

 

 

 

私にはできない。

私に力はない。

私はダメなんだ。

私には価値がない。

私は必要とされない。

私は役に立たない。

 

自分の中で

そんな言葉ばかりいっぱいになりました。

 

わかっています。

自分を卑下することないってこと。

そんなふうに誰も思ってないってこと。

 

でも、私は自分の居場所がないような

誰からも大切にされないような

心許ない一番感じたくない感情を

感じていました。

 

 

 

そんな自分に寄り添っていると

私はできる人でいたいのだということが

わかりました。

 

私はいつでもどこでも

できる人でいたい。

役に立つ人でいたい。

誰かのお荷物になりたくない。

尊重され、大切にされたい。

 

さらに掘っていくと

 

受け入れてもらいたい。

歓迎されたい。

望まれたい。

好かれたい。

愛されたい。

 

と、切実な願いが出てきました。

 

 

 

その願いが叶わないと

私は絶望的な気分になるのでした。

 

それは

自分はこの世にいてはいけないような

自分の存在そのものを否定したくなるような

そんな気分でした。

 

 

 

何が怖いって

何が悲しいって

人に受け入れてもらえないことほど

恐ろしいことはありません。

 

人から拒絶される時

自分が100%無価値に感じられます。

そして、そんな自分では

生きられない気がするのです。

 

だから恐ろしいのです。

死ななきゃいけなくなっちゃうから。

 

 

 

私は重要人物になりたい。

みんなに必要とされ受け入れられたい。

 

そうじゃないと惨めで生きられない。

惨めで辛い。

愛されないこんな自分じゃ辛い。

 

 

 

私は愛されない。

私はひとりぼっち。

 

何かの拍子でこの傷が刺激されます。

この傷が暴れます。

 

 

 

私は「私は愛されない」を抱きしめる。

まだあるこの傷。まだあるこの痛み。

「私は愛されない」を抱きしめる。

 

「愛されないのは怖いよね。

受け入れられないのは恐ろしいよね。

だってひとりぼっちになってしまう。

辛かったね。惨めだったね。悲しかったね。」

 

私は、私を抱きしめました。

 

 

 

 

人から拒絶されると

そこには居場所がない。

 

自分の居場所がない。

自分の席がない。

この悲しみが深い。

 

 

 

 

ここまで感じきってふと浮かぶ疑問。

 

自分の居場所って何だ?

誰かの承認が必要?

誰かの許可が必要?

誰かって誰?

誰に認められないとダメなの?

 

 

 

そんなの必要ない。

自分の居場所は自分で決める。

 

居場所は、今ここにもうある。

私が存在しているこの場所が私の居場所だ。

 

存在しているということは

存在が許されているということで

もうここに私の席があるということだ。

 

誰の許可もいらない。

誰の承認もいらない。

私はもうここにいる。

 

それを私が認めて

私が尊重して、大切にすればいいのです。

 

 

 

どんな時も自分を卑下しない。

自分を愛する。

自分を信じる。

 

私は、何ができても、できなくても

そのまま存在していていいのです。

 

自分の存在を信じていいのです。

 

 

 

 

こんなふうに誰かの何気ない一言で

モヤモヤして、それを掘っていくと

心の傷が大暴れすることがあります。

 

それは、母親に愛されなかったという傷。

私に味方はいない、

私はひとりぼっちという傷。

 

でも、それらを全部認めて

抱きしめてあげると、ふと我に返り

「何を一人芝居してたんだろう?」と

不思議な気持ちになるくらい

さっぱりとした気分になります。

 

あんなに、生きてはいけないくらい

傷ついた気分だったのに

「なんでそんなふうに思ったのかな?」

というくらい傷ついた気持ちは

流れていってしまいました。

 

 

 

こうして自分の中で出番を待っていた感情が

成仏することによって

私はまたひとつ軽くなったのでした。

 

 

 

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