心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

休もうと思う

 

 

 

具体的に、明らかに

体調が悪いというわけではないけれど

なんとなくスッキリしなくて

心もとない感じがする時があります。

 

 

 

そんな時、以前なら

普段通りに過ごしていました。

 

明らかに体調が悪いわけじゃない、

がんばればできる、そう思って

普段の家事、用事、習い事など

お休みしませんでした。

 

 

 

本当はお休みしたい。

でも、休もうとすると

抵抗が起こるからです。

 

はっきりと体調が悪いわけでもないのに

なんとなく疲れたというくらいなのに

そんな程度で休むことに

抵抗する自分がいました。

 

休む自分が許せませんでした。

 

「そもそも疲れることなど

何もしてない。なんで疲れるんだ?」

と、自分が自分に言っています。

 

客観的に見ても

自分が疲れる原因は見当たらない。

 

仕事をしているわけでもなく

そんなに忙しいわけでもなく

嫌なこともありません。

 

お昼寝もできるし

テレビを観てゆっくりもできます。

 

だけど、やっぱり疲れている。

 

 

 

 

私は、疲れていました。

 

外側の条件がどうであろうと

私が感じている体と心の重さ

「疲れたな」という感覚は

紛れもない事実でした。

 

 

 

それは

頭で考えて原因を探しても見つからない

私独自の感じ方です。

 

 

 

どんなに休んでも

人がいるだけで疲れる。

モノが多いだけで疲れる。

頭の中の思考が

ごちゃごちゃしてるだけで疲れる。

自分を否定しているだけで疲れる。

不安になっているだけで疲れる。

未来のことを考えているだけで疲れる。

音がうるさいだけで疲れる。

何かを不満に思って

イライラしてるだけで疲れる。

 

などなど。

 

何にもしてないのにどうして疲れるの?

と思っても、自分の内的世界では

ガヤガヤと落ち着かなくて

そんな時はとても疲れるのです。

 

また、無意識にいつも緊張しているので

いつでも身構えているという疲れもあります。

 

動的にはエネルギーを使ってないけれど

自分の内的世界では

これだけエネルギーを使っていて

それが消耗させるのです。

 

 

 

頭は

「何もしてないのにどうして疲れるの?」

と言うけれども、私が疲れていることは

紛れもない事実です。

 

それが、私の「本当」で

本当のことだから

ないことにはしたくないと思いました。

 

理由なんてわからなくてもいい。

 

私の感じる「疲れた」を

ちゃんと尊重したいと思いました。

 

その時に理由がわからなくても

そう感じるには、必ず

それ相応の理由があるのですから。

 

 

 

 

だから、なんとなく疲れたな、

なんとなくスッキリしないな、

というくらいぼんやりしていても

休もうと思います。

 

家事も、用事も、習い事も。

 

そこで自分をがんばらせるのではなく

休ませて、緩ませる方向へ。

 

 

 

私は、もう無理をしない。

自分を緊張させない。

 

私を許して、緩ませる。

 

 

 

心のままに

ありのままに

私は、ただ存在していたいです。

 

 

 

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