心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

「私のしたい」をしたい

 

 

 

私は、専業主婦なので

時間的にゆとりがあり

休もうと思えば好きなだけ休めるし

本を読んだり、映画を観たり

好きなこともできる。

 

自分が癒されるように瞑想をしたり

ゆっくり好きな音楽を聴いたりもできる。

 

 

なのに、私は

いつでもぐったり疲れていた。

 

 

 

自分がこんなに疲れているのは

なぜなのか?

本当に謎だった。

 

 

 

 

でも、自分と向き合って

自分のことをよく振り返ってみると

わかったのだ。

 

義務からの行動

やるべきことをこなす行動

それが自分の役目だからという行動

ねば、べき、からの行動、など

こういう行動をしていると疲れるのだ、と。

 

 

私は、自分の心を無視して

自分の望みや欲望を無視して

自分を無視して活動させないことが

限界だった。

 

義務や常識や、人に左右されて

振り回されることが限界だった。

 

それをやると、消耗して

どっと疲れるのだった。

 

 

 

 

私は、私を生きたい。

私は、私の心のままに素直でいたい。

私は、私の心から発進する行動をしたい。

 

「私のしたい」をしたい。

 

自分はどうありたいか。

自分の望みは何なのか。

自分の欲望なのか。

 

そこからしか行動したくない。

 

ずっと義務ばかりこなしてきて

疲れ果ててしまったのだ。

 

 

 

 

いくらひとりの時間を作っても

瞑想をしても、休んでも

「自分の役割をこなさなくてはならない」

と思っていると疲れる。

 

逆に、同じだけ労働しても

毎日を自分のしたいように

主体的にしていれば疲れない。

 

 

 

 

問題なのは、自分の在り方

自分の思考、自分という人間の捉え方。

 

自分はもうすでに自由で

したいことは何でもできる。

 

すべての事柄は自分の心から始まる。

何でも可能なのだ。

 

 

 

もう、今までの自分のルールを

破っても大丈夫。

 

無意識下にある自分のルール。

〜すべき、〜ねばならない。

 

それをひとつひとつ検証して

本当にそのルールが今でも必要か?

そこにこだわる意味はあるのか?を見直し

自分の思考を変えていく作業をしよう。

 

自分に合った自分に優しいルールへの変更。

自分の魂と調和するルールへの変更。

 

 

 

そんなふうに思考を変えていったら

私は、実は自分が思っているよりも

格段に自由なのだった。

 

いろんな制約があるようで

どうとでもなるものだった。

 

それまで、ただそれを

検証していないだけだった。

できると気づいてないだけ

やってみてないだけだった。

 

 

 

ひとつひとつ検証して

もういらないと気づき、手放していくと

自分の自由の可能性は

無限に広がっていくようだ。

 

そうして、自由になった自分を

主体的に過ごしていると

体は軽く、全然疲れない。

朝もパッと目が覚める。

 

 

 

やっぱり人は

「自分のしたい」をして過ごすと

エネルギーが湧いてくるのだなと思った。

 

「自分のしたい」をすることは

わがままではなく、案外周りの人にも

迷惑にならず、なんとかなるものだ。

 

それは、「自分のしたい」をすることで

周りとの調和が取れるからだ。

(自分を生きると調和が取れる)

 

だから、安心して

自分の好きなことをすればいい。

 

 

 

自分が主体的であるには

いつも自分に対して

「私はどうしたい?どうありたい?」

と質問すること。

 

その答えに沿っていくと

自分は幸せになれる。

 

 

 

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