心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

今日という一日をどう過ごすのか、それが人生

 

 

 

私は、子どもの頃から

人の指示、命令でしか動きませんでした。

常に受け身でいました。

 

だから、大人になってからも

受け身でいることが楽でした。

 

人に指示される

人にアドバイスされる

人にやってもらう

人に教えてもらう

人に導いてもらう

人の作品(テレビ、読書)を楽しむ、など。

 

 

 

 

テレビを観ているのは本当に楽です。

 

自分は何もしなくて、考えなくて

自分と向き合うこともしなくて

ソファに座っているだけで

そこそこ楽しい。

 

何時間でもそうしていられます。

 

 

 

でも、それが本当に

やりたいことなのではありません。

 

ただ、暇な時間を潰しているだけです。

 

 

私は、仕事をしないでずっと家にいた頃

よく、一日のうち

やらなければならないことをこなして

余った時間はテレビで潰していました。

 

全く自分を生きていなかったなと思います。

一日の100%が受け身で

まるで死んだように生きていました。

 

 

 

けれど、そのように生きていながら

私はずっとモヤモヤしていたのです。

 

長時間をダラダラとテレビやスマホ

時間を費やすのはもったいない

と感じていました。

 

 

 

与えられた自分の時間をどう使うのか?

 

ただ受け身に時間を潰してしまうのか

それとも、自分のやりたいことを

やって過ごすのか。

 

そう考えた時、もちろん答えは

「自分のやりたいことをやって過ごす」

でした。

 

 

 

そして、テレビ、スマホ以外の

自分のやりたいことって何だろう?

と真剣に考えるようになったのです。

 

でも、そもそも

自主的、能動的、クリエイティブ

これらが苦手なのですから

始めは何も浮かばなくて途方に暮れました。

 

そして、また

どうすればいいか誰かに聞きたくなり

アドバイスが欲しくなりました。

 

自分で何も決められない私がいました。

受け身が染み付いたそんな自分が

本当に嫌になりました。

 

 

 

でも、そこでまた人の意見に左右されたら

意味がありません。

 

自分のやりたいことは自分にしかわからない。

自分で見つけるしかないのです。

 

ならば、慌てて適当なもので埋めないで

いっそのこと何もしないでいたらどうだろう?

 

早く!早く!と焦らないで

ベランダの椅子にただ座っている、とか

ソファでただ座っている、とか

瞑想をする、とか。

 

その方が自分との距離が近くなるのでは?

 

どうせそれまでだって

本当の自分を生きてきたわけではない時間。

何もしないで静かに過ごした方が

自分の中のノイズが減る気がしました。

 

そして、それは実際にそうでした。

 

 

 

 

自分のやりたいことは何?

それを自分で考え出して自ら行動する

この時間の使い方が

=「どう生きるか」です。

 

受け身にただ過ぎていくような

時間の使い方をしないで

もっとやりたいこと、主体的に動くこと

静かに過ごすこと、などに使うように

意識的でいること。

 

 

 

 

「今日という一日をどう過ごすのか

それが人生だよ」

そうメッセージをもらった気がします。

 

どう生きたいのか、

それを一日の中で実現していかなくては

ならないのだと思いました。

 

 

 

受け身でいると死んだようになってしまう。

その受け身の弊害をしみじみと感じました。

 

人生を充実させたかったら

主体的、能動的でなければならないのです。

 

 

(テレビ、スマホがダメという意味ではありません。テレビを観て楽しむことを自分で選ぶということ、本当にそれがやりたいのか?ということです。)

 

 

 

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