心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

体あっての私

 

 

 

風邪をひいて倦怠感が抜けず

ずいぶん長いこと休んでいます。

 

昨日あたりからやっと倦怠感が薄まってきて

少しずつ動けるようになってきました。

 

 

 

 

 

倦怠感がひどくて

体が鉛のように重くて動けなかった時

思ったことがあります。

 

それは「私は体が動かせないと

やりたいことをやったり

いろいろな経験をしたりすることが

できないのだ」ということ。

 

 

 

体があるから

私は経験ができる。

好きなところに行ける。

感じることができる。

 

体あっての私なのです。

 

 

 

体がないと、私は何もできないのに

そんなすごい存在で大切な体なのに

私は全然かえりみてなかったなと思いました。

 

 

 

ここ数ヶ月、大学に入学する次男のお世話や

入院した夫のお世話に明け暮れて

自分だけの休みをほとんど取れていなかったのです。

 

自分の仕事が休みの日

「もう疲れた。この日は絶対に休むぞ。

何がなんでも自分のために時間を使うぞ。」

といくら決めていても

その日になると何かしら家族の用事が入り

私は家族の誰かのお世話をしているのでした。

 

さすがに

自分自身の疲れが溜まっているのを感じ

もうこの日は絶対に休む!!と決心した日は

今度は会社で突然人が足りなくなり

「出てもらえませんか?」と言われてしまったのです。

 

本当は断るべきでした。

これは試されていたのだなぁと

後になって思いました。

 

でも私は、そこでも自分よりも周りを優先して

「出られます」と仕事に行ったのです。

 

 

 

そして、その日から39℃近い熱を出し

強制終了となったのでした。

 

ここまで疲れを溜めて

無理をし続けていたのだから

倦怠感がずっと抜けないのも

仕方がないのかもしれません。

 

 

 

私は、本当に体に負担をかけていました。

無理をさせ、大切にせず

愛していませんでした。

 

そのことを反省し

私は体に謝りました。

 

そして、体があるからこそ

経験できること、感じられること

行きたいところに行けること

やりたいことをできることに

感謝しました。

 

 

 

 

 

そうして体に感謝していると

ふと、私はこの自分の体を

「使わせてもらっているのだ」

という意識になりました。

 

この体は私じゃない。

「体=自分」じゃない。

 

体は、誰だかわからないけれど

何者かから借りているものなのです。

 

何者かから借りたこの体を使わせてもらって

私はここでいろいろな経験を

させてもらっているのです。

 

 

 

そういえば、もう何年も前から

「体は借りもの」という話は

本で読んだり、聞いたりして知っていました。

 

その時、わかったつもりになっていたけれど

本当はわかっていなかったと今わかりました。

 

私は、そのことを本当には知らなかった。

この間、はっきり、体を

「使わせてもらっている」という感覚になって

そのことがわかりました。

 

「体は借りもの」の意味が

やっと腑に落ちました。

 

 

 

 

 

体を自分だと思っていると無頓着になりますが

借りものと思うと扱い方も変わってきます。

 

例えば、自分で買った自分の本を読む時は

そんなに気を遣わず普通に扱うのに

人から借りた本だと「汚してはいけない」と

丁寧に扱うものです。

 

それと同じで

体も自分のものではないのだから

丁寧に、大切に扱わなければ

と思うのです。

 

 

 

私は、これまでよりも、一層深く

体を大切に、愛していこうと思いました。

 

モノでも何でも

感謝され大切にされたものは

いつまでも輝き、壊れないと言われます。

 

ということは

体を深く愛するということは

健康を保てるということです。

 

動ける体に感謝し、健康に感謝することで

より健康を約束されるのです。

 

喜び、感謝したものは、増幅して

さらにその人に与えられるのですから。

 

 

 

私は体を大切にします。

 

体あっての私。

体があるから

ここで存在していられる私なのです。

 

 

 

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