心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

自分の気分を良くしてあげる

 

 

 

以前、甘いものやポテチや揚げ物など

食べたいものを食べたいだけ食べていた頃

私はよく体調不良になりました。

 

特に梅雨時や夏の湿度の高い時期に

胃痛と頭痛がセットになってくるのでした。

 

 

 

 

そんな体調が悪く

鬱々としたエネルギーのない時

私は家の中でダラダラと過ごします。

 

そして、ずっとテレビを観たり

昼寝ばかりしている私を

子どもたちはどう思っているだろうか?

と心配になりました。

 

「バリバリ働くお母さんじゃなくてごめんね」

などと思ってしまって

自分が恥ずかしくなりました。

 

 

 

そんなふうに

人から見た自分を想像したりして

まだまだ他人軸な私なのでした。

 

本当は、自分の快、不快に集中して

自分の人生に夢中になっていれば

人からどう思われようと構わないのに。

 

恥ずかしくなるのなら

もっと自分を満足させて

「楽しいよ!」と言えばいいのに。

 

休みたいなら休めばいい。

そこで得るのは満足であって

罪悪感ではありません。

 

私がやるべきことは

自分を喜ばせること

自分の心地よさを追求することなのです。

 

 

 

 

子どもたちは

私にテキパキしてほしい、とか

働いてほしい、と思ってるわけではなくて

幸せでいてほしいのだと思います。

 

好きなことをしていてほしいのです。

(そう言われたことがあります)

 

だから、テレビ観たり、昼寝をして

罪悪感を覚えるのではなくて

何をやってもいいから

「楽しい!」とか「気持ちいい!」とか

そんないい気分になればいいのです。

 

大事なのは

私が役立っているか、とか

だらけてないか、とか

何をしているか、ではなく

「私がどんな気分なのか?」です。

 

注目するのは自分の気分。

大事なのは自分の気分。

 

 

 

私は、体調が良くない時は

心置きなくゆっくり休んで

自分が心地良いように

気分がいいようにしていようと思いました。

 

そして、いつでも自分の気分に気づいていて

少しでも自分の気分がよくなるように

心がけてあげようと思いました。

 

 

 

 

ちなみに

自分がいつもいい気分でいるために

選択肢はたくさんあった方がいいそうです。

 

そのやり方を簡単に書いておきますね。

 

 

 

『自分らしさを見つける方法』

 

自分のしたいこと、好きなことを

100個それぞれリストアップする。

小さな、些細なことでOK。

リストはどんどん追加していく。

その中からすぐにできそうなものを

5つ選んで、今日やる。

それを毎日続けていく。

一回やったものはそれ以降やらない。

 

以上です。

 

 

 

これは、自分らしさを見つける方法ですが

自分の「したい」と「好き」に

意識をフォーカスし続けるので

結果的に気分良くいられるようになります。

 

毎日やり続けるのはなかなか大変なのですが

自分を気分良く保つというのは

それなりに意識していないと

案外難しいことなのかもしれません。

 

自分を気分良くいさせてあげるには

それなりの意識と

それに伴う自分の行動が必要なのですね。

 

自分の気分は自分が選んでいます。

ずっとそこに居続けるのか

切り替えるのか、自分の選択なのです。

 

 

 

そうして、自分の「したい」や「好き」が

日常に散りばめられていると

いつの間にか自分は

自分らしくなっているのでしょう。

 

自分らしくいられる時

もちろん気分もいいですよね。

 

 

 

(余談ですが

じめじめした時期の胃痛と頭痛のセットは

自分の体に合わないものを

食べないように食生活を変えたら

治ってしまいました)

 

 

 

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体に優しいおやつ〜はちみつ

 

 

 

私は、小麦粉、白砂糖、乳製品などは

普段は控えているので

普通に売っているお菓子は

ほとんど食べていません。

 

なので、自分の体に合う

優しいおやつを選んだり

自分で作ったりしています。

 

 

 

そんな私に、夫から

今年のホワイトデーには干し柿

誕生日にははちみつを

プレゼントしてもらいました。

 

 

 

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はちみつの瓶というのは

キラキラしてかわいくて美味しそうで

見ているだけで気分が上がりますね!

 

昔からはちみつの瓶には

不思議なときめきを

感じていたように思います。

 

ジャムの瓶もカラフルでかわいくて

見ているだけで癒されますね。

部屋に置いてあるだけで

インテリアとしてかわいいです。

 

 

 

そんなはちみつですが

どうするのかというと

そのままスプーンですくって食べるのです。

 

食後など

何か甘いもの食べたいなぁという時

スプーンでひとさじすくって

そのまま口の中へ。

 

ゆっくり溶かして味わいます。

 

蜂が一生かけて作れるはちみつは

ティースプーン一杯分だそうですが

そう思うと、はちみつとは

とても貴重なものですね。

 

そのことを思い出しながら

「ああ、蜂の一生分の仕事の成果を

私は今、食べているのだ」と

大切なものをいただく感謝を感じます。

 

はちみつの値段が高いのも

当たり前だと思いました。

 

 

 

そうして、そのままのはちみつを

スプーンですくって味わってみると

花の種類やお店によって

味がそれぞれ違うことがわかります。

 

サラッとしているもの

さっぱりしているもの

フルーティなもの

花の甘い香りのするもの、など

味の違いを味わうのも楽しいです。

 

 

 

そんなはちみつで

ドリンクを作ってみました。

 

小さいカップにぬるめのお湯(温度が高いと

はちみつの酵素や栄養素が壊れてしまう)

を入れて、大さじ一杯半くらいの

はちみつを入れ溶かします。

 

ここで、よくレモン汁を入れますが

私は乾燥ゆずを適量入れてみました。

まるでゆず茶のようになりましたが

とてもおいしかったです。

 

レモンやゆずがなくても

はちみつだけでも

きっとおいしいだろうなと思います。

 

 

 

 

自然からの恵みを

ありがたくいただいています。

 

 

 

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自分の心の望み以上に大切なものはない

 

 

 

私のように平凡で

変わり映えのしない毎日を送っていると

ふと「あれ?このままではいけないかも」

と不安になることがあります。

 

何か特別なことをやらなければいけないような

何者かにならなければいけないような

そんな焦るような気持ちです。

 

でも、「不安」で「焦って」いるのなら

それはエゴの仕業です。

 

エゴが「そんなんじゃダメだ」と

私に囁いてくるのです。

 

 

 

 

 

そんな時こそ、今この瞬間の

自分の「心地いい」に集中します。

 

おいしい、楽しい、気持ちいい

嬉しい、かわいい、幸せ、などなど。

 

そうして、その瞬間ごとの

自分の快を集めて、味わっていて

もし何か思いついたら

その時はその思いついたことをやります。

 

それだけでいいのだと思っています。

 

 

 

 

自分の違和感に蓋をするということではなくて

いろいろ考えすぎて

○○しなければ、とか

このままじゃダメだ、とか

不安になったり否定したりすることを

手放すということです。

 

それらエゴの考えを手放して

心の望むことに集中するのです。

 

 

そうすると、エゴが

「そんなことやってたら

このまま人生は終わる。

この人生を無駄にする。」と脅してくるけれど

自分の心の望み以上に大切なことなど

ないのですから、エゴの脅しはスルーします。

 

 

 

 

 

世界平和という壮大な夢も

個人的な○○したいなどの夢も

それが魂からの夢ならばどちらも同じで

そこに大きいも小さいも優劣もないそうです。

 

人の役に立つような立派な夢も

個人的な○○に行きたい、○○をやりたい

○○に住みたい、などの夢も

魂から自分が本当に望むことなら

同じ価値を持つのです。

 

だから、どんなに小さくても

それが何にもならなくても

魂からの自分の本当の望みを

叶えていくことが大事なのですね。

 

 

 

 

役に立たなくちゃ、何者かにならなくちゃ、と

意味や成果を常に求めるエゴの声に

惑わされなくてもよくて

エゴからではなく、心からの「したい」を

日々やっていけばいいのです。

 

 

 

 

エゴの望みと魂の望みの区別は

ややこしいですが

根底に自己否定や不安、恐れがある時は

エゴが望んでいることです。

 

「自分はダメだから評価されたい」

「自分に価値がないから価値をつけたい」

「このままでは愛されないから

愛される自分になりたい」

このような動機は

根底に自己否定や恐れがあるので

エゴの望みです。

 

この望みを叶えようと必死に頑張っても

達成しても、もっともっととなり

終わりはなく、消耗していきます。

 

なので、エゴの望みに振り回されていると

いつまでたっても幸せにはなれません。

 

 

 

 

大事なのは魂からの

自分の本当の望みを叶えていくことです。

 

エゴの望みには終わりがありませんが

魂からの望みは叶えてあげると

心が満たされてじんわりと幸せを感じます。

 

なので、どんなにくだらないことでも

小さなことでも、何にもならなくても

魂からの、心からの「したい」を

日々やっていけばいいのですね。

 

 

 

それが自分を生きることで

自分を表現することになります。

 

結果的に、そのことで

自分というものを確立して

知らず知らずのうちに人にも影響を与えて

誰かの役に立つかもしれません。

 

 

 

シンプルですが

自分の心のままに

自分のままでいるだけでいいのです。

 

自分の心の望み以上に

大切なものなどないなと思います。

 

 

 

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笑顔以外の顔をしてもいい

 

 

 

私は、親に傷つけられたくなかった。

 

でもこの環境にいるということは

私は、このことから

何を学ぼうとしたのだろうか?

 

何に気づこうとしたのだろうか?

 

この問題にかかりきりで

私はまだ自分の人生を生きていない。

もう何十年も経ってしまっているのに。

 

 

 

限りある人生の時間を無駄にできないと

私は焦っていた。

 

早く問題を解決して

早く充実した人生を送らなくちゃ、と。

 

 

 

これは、今を否定しているエゴの声。

 

そもそも焦りを感じている時点で

自分が世界の中心からずれている。

 

やっぱり自分を責めていて

それじゃダメだ

もっとキラキラしなくちゃ

人と比べて自分はなんて惨めなんだ

とか、エゴに頭の中で言われていた。

 

 

 

「私は、これからV字回復して

元気になって充実した人生を送る。

それが本当の自分なんだ。」と思っていた。

 

だから今の自分は偽りの姿だ、と。

 

 

 

今の自分を受け入れていなかったのだ。

 

傷ついて弱っている自分は嫌だ。

具合の悪い自分は嫌だ。

不安に苦しんで家にこもっている自分は

本当の自分じゃない。

 

そう思っていた。

 

 

 

私は、今の自分を拒否していた。

今の自分に抵抗していた。

 

 

 

私は間違っていたのだ。

 

そのことに気づいて

自分に起きていること

自分の状況を受け入れようと思った。

 

体を緩め、リラックスして

自分の快、不快を大切にしていく。

人と比べない。

自分自身のままでいればいい。

 

 

 

私は傷ついて弱っている自分を受け入れる。

自分にも体調不良の時があると受け入れる。

不安で苦しくて

活動的になれない自分を受け入れる。

今のありのままの自分を受け入れる。

 

そう宣言した。

 

 

 

そして、エゴには

「エゴさん、私を幸せにしようと

アドバイスをくれてありがとう。

でも、私は私のやり方で

私のペースでやっていこうと思う。

その結果は私が引き受けるから大丈夫です。

私は大人になったからもう大丈夫です。

今までありがとう。」と言った。

 

 

 

*  〜  *  〜  *

 

 

 

そんなふうに自分の弱さを受け入れると

今度はまた別の引っかかりが生まれた。

 

 

 

周りの人たち、特に家族が

私の笑顔を願っている。

いつも元気で、好きなことを活動的にして

人生を楽しむことを願っている。

 

それは、もちろん愛からの願いで

大切に思うからこその願いだ。

私だって、家族に対して

そう思っているところはある。

 

 

自分自身でもそうありたいと願っている。

でも、私の笑顔は人の望みでもあった。

 

でも、本当にそれを望むのなら

今すぐにそうすればいい。

なのに、そうしないのはできないからだ。

 

傷ついて、弱くて、怖くて、できないのだ。

 

そんな輝けない姿は

人や自分の望みの姿とは違う。

 

 

 

そんな傷ついて弱くて怖い自分

かっこ悪くて惨めな自分は

受け入れられなかったけれど

私はそんな自分を受け入れて

そのままでいいと許したのだ。

 

それは

周りの人の願いを叶えられないことになる。

それが私は辛かった。

 

私は、それが辛かったのだ。

人を喜ばせられないから。

 

私は、人を喜ばすために

自分がイキイキしようとしていた。

 

 

 

まったく、誰の人生なのだろう?

なんてバカらしいのだろう。

人の期待に応えようと

人のために生きるなんて。

 

このことに気づき

私は傷ついて怖がっている自分を抱きしめて

「ごめんね、ごめんね」と謝った。

そして「これからはずっと一緒にいよう」

と言った。

 

自分を大切にすると誓った。

 

涙が溢れた。

 

 

 

 

 

人の笑顔を願うことは

みんな当たり前のようにしている。

私だってしている。

 

それが良いことのように思われている。

人の笑顔を願うのは

美しいことだと思われている。

 

人とはそういうものだろうし

笑顔であってほしいというのは

実際美しいことだと思う。

 

 

でも、本当は誰だって

泣いたり、怒ったり、笑顔以外の顔をする。

 

笑顔以外の顔をする権利がある。

 

笑顔しか見せられないというのは

辛いことだ。

笑顔しか歓迎されなかったら

その人はその場では

辛さや弱さを隠すだろう。

 

そこは、その人にとって

くつろげる場所だろうか?

 

 

 

「その人のどんな顔だって受け入れる」

というのが本当の愛だと思う。

 

そう思ってもらえる時

人は心からくつろげるのだ。

 

 

 

ちなみに

私はもう自分を偽るのが無理だったので

家族にも「しんどい。辛い。怖い。」など

ぶちまけたら、もちろん

歓迎されたわけではないけれど

受け入れざるを得ないという感じで

受け入れてくれた。

 

「こんな自分じゃないと受け入れられない」

というのも幻想だった。

 

 

 

だから、周りがどうのこうのじゃなく

基本は「自分に正直に」

「自分の心に沿って」なのだと思う。

 

 

 

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自己否定を手放した先にあるもの

 

 

 

なんだか最近

日常が静かで心地いいと感じています。

 

そのいい感じが続いています。

 

 

 

飼っている猫を愛でるのは

前からでしたけれども

今はベランダの植物たちが

すごく可愛く感じられて

 

元気に育っているのを眺めたり

収穫したり

枯葉取り、剪定などのお世話をしたり

触れ合っているのが嬉しいです。

 

 

 

また、そば粉やオートミールを使って

自分の体に優しいお菓子作りをすることも

なんだか心が満たされていくよう。

 

静かに、じんわりと。

 

 

 

そして、ゆるくてほっこりする

心地いい映画やドラマを観たり

 

クリスタルボウルの音色やピアノ曲など

美しく心地いい音楽を聴いたり

 

エッセイなどの軽めの

心地いい本を読んだりして過ごしていると

 

自分の周りが心地良さで満たされて

「ああ、幸せだ。もうこれで充分だ。」

という気持ちになります。

 

些細なこと、小さなことが嬉しくて

「かわいいな」とか

「嬉しいな」とか

「気持ちいいな」とか思います。

 

 

 

 

「○○な自分にならなければ」と

自分に何も課さなければ

「このままの自分ではだめだ」と

自分を否定しなければ

心はこんなにも軽いのだと知りました。

 

 

自分の心に負荷をかけなければ

自由に、自分の好きなもの

心地いいものを選ぶことができて

こんなにも快適で幸せになれるのです。

 

何も努力などしていません。

 

ただ、自分に何かを課したり

否定したりと心に負荷をかけないで

あとは好きにしているだけです。

 

とても簡単。

 

 

 

 

こうなってみると

とても簡単だと思うのですが

今まで何十年もできないでいたのですから

やっぱりこれは難しいのかもしれません。

 

自分を振り返ってみると

「自分の心に負荷をかけている」と

気づいたことが大きいと思います。

 

 

 

「私は心の中でいつも自分を否定している」

「私は自分に厳しすぎる」

「私は自分を虐めている」

「私は自分に思いやりがなく優しくない」

「私は今の自分ではダメだと思っていて

常に何者かになろうとしている」

「私は自分の一番大切なものを

大切にしていない」

などが、私にとっての気づきでした。

 

自分にこんなふうに接していると

心はいつも苦しくて、悲しくて

焦っていて、疲れます。

 

 

こんな自分の心に気づけないと

いくら「好きに、快適に、心地よく」

と思っても、心の奥底で

「そんなことしてる場合じゃない。

もっと頑張れ。もっと良くなれ。」と

自分をせっつく声がして

とてもじゃないけれど

じんわりと満たされる気分には

なれないでしょう。

 

心地よく過ごしたいと思っても

うまくいかないでしょう。

 

 

 

 

だから、自分が

自分をどう扱っているかに気づくことは

本当に大切なことだと思います。

 

気づいたら、手放せるからです。

 

気づいたら

「これからもそれを続ける?

それとも違う接し方にしてみる?」と

自分で選ぶことができるからです。

 

そうして、自分をどう扱うか

意識して考えることで

「自分に優しくする」という選択が

できるようになります。

 

 

 

 

ありのままの自分を受け入れられれば

もう怖いものはなく

受け入れたその瞬間から幸せになれます。

 

けれども、多くの人がそれができないのは

防衛による自己否定が何重にも層になっていて

それぞれにロックがかかっているように

頑固で、しつこいからです。

 

 

 

ひとつ受け入れられたと思っても

しばらく経つと自己否定はまた現れます。

 

そんな時

「私、また自分を否定してるわ」と

何度も同じことを繰り返す自分が嫌になり

「もう自分はここから抜け出せないのでは」

と、絶望的な気分になったりします。

 

 

 

けれど、それは

「それほど自分を強固に守りたかった」という

気持ちの残骸のようなもので

自分を守ろうと必死だったエゴのせいです。

 

エゴは

「今のままの自分じゃダメだから

もっと頑張れ」と私のお尻を叩いて

なんとか自分の置かれた環境に適応して

私を生き残らせてくれました。

 

自己否定が私を守ってくれたのです。

自己否定は、実は影の功労者です。

 

 

 

その自己否定がキツければキツイほど

過酷な環境を生き抜いてきたのかもしれません。

 

だから、自己否定を見つけたら

「今まで頑張ってきたんだね。

私を守って生き残らせてくれて

ありがとう。」と優しく受け入れてあげると

自己否定はふわっと解けていきます。

 

自己否定が、何度浮かび上がってきても

それほど自分を守りたかったということなので

その都度、繰り返し

「頑張って生きてくれてありがとう。

私を守ってくれてありがとう。」と

優しく抱きしめます。

 

「また自己否定してる!

なんて私はダメな人間なんだ!」と

責めるのではなく

そのたびに「守ってくれてありがとう」と

受け入れていきます。

 

それを繰り返していると

だんだん自分の中の自己否定濃度が

薄くなってくるのが感じられてきます。

 

それは根気のいる作業ではありますが

必ず、変化は訪れるので

諦めずにやってみるといいですね。

 

 

 

自分が自分をどう扱っているかに気づき

自分に対する厳しさを手放し

自分に対する優しさを受け入れ

「このままの自分でいいのだ」と

思えるようになると世界は変わります。

 

 

 

こんなに心の在り方が変わって

こんなに日常が変わるのです。

 

 

 

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体に優しいおやつ〜バナナケーキ

 

 

 

私は、一年ほど前に食生活を変えてから

白米や小麦粉を主食に食べることは

なくなりました。

 

 

 

小麦粉を食べないというのは

多くの人は「絶対無理!!」と言います。

 

小麦粉が食べられないと

パン、パスタ、ピザ、うどん、素麺

ラーメン、肉まん、餃子、シュウマイ

お好み焼きなどの粉物、お菓子、など

美味しいものがほとんど食べられなくなるので

「絶対無理!!」というその気持ち

本当によくわかります。

 

私もそう思いましたし

始めのうちは辛かったのが正直なところです。

 

 

 

白米、小麦粉を食べないで

じゃあ主食は何を食べてるの⁉︎

とお思いかもしれませんが

意外となんとかなっています。

 

白米、小麦粉を食べないで

もう一年以上経ちましたが

今ではすっかり慣れてしまいました。

 

私が主食として食べているものは

主に、玄米(一日一膳まで)、芋類

オートミールライ麦パンです。

 

たまにお蕎麦も食べます。

 

 

 

玄米はまとめて炊いて

一膳ずつ小分けにして冷凍しています。

 

芋はさつまいも、じゃがいもなどを

小さな蒸し器で蒸してそのまま。

手軽に蒸せる小さな蒸し器は

このために買いました。

 

 

 

オートミールは一番便利で

アーモンドミルクをかけて

フルーツやナッツをトッピングして

ほぼ毎日食べています。

 

オートミールにお湯をかけて

ただふやかしたものを白米代わりにして

夕飯などでおかずと一緒に食べることも

よくあります。

 

オートミールは日持ちもして

お水でもふやかすことができるので

非常食としてもいいなと思ってます。

 

 

 

ライ麦パンは近所では手に入らないので

ネットで買っています。

ライ麦100%パンだと

原材料はライ麦と塩、酵母くらいなので

本当にヘルシーです。

 

いろいろな商品があるので

試してみて、気に入ったものを

常時ストックしています。

 

開封したら、これも一枚ずつ

ラップで包んで冷凍です。

 

こうしておくと、その時の気分で

「今日はライ麦パンだな」とか

「今日はどっしりしてる玄米を」とか

選べるので便利です。

 

 

 

こんな感じで、意外となんとかなっています。

 

 

 

主食で大活躍のオートミールですが

そんなオートミールを使って

お菓子を作ってみました。

 

バナナケーキです。

 

 

 

【バナナケーキのレシピ】

(パウンド型1本分)

オートミール粉    120g

卵           1個

アーモンドミルク    大さじ3杯

てんさい糖       40g

ベーキングパウダー   小さじ1杯

バナナ         2本

 

 

オートミールはミキサーで粉状にする。

②ボールに卵を割り入れ泡立て器で混ぜ

アーモンドミルク、てんさい糖も入れて

よくかき混ぜる。

オートミール、ベーキングパウダーを入れ

混ぜる。

④荒く刻んだバナナを入れ混ぜる。

(バナナはフォークで潰しただけでもOK)

⑤パウンド型に流し入れる。

⑥180℃に予熱したオーブンに入れ

40分焼く。

 

 

 

混ぜて焼くだけなので

めちゃくちゃ簡単です!

 

焼き上がりはこんな感じ。

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このレシピにココア30gを入れても

とても美味しいです。

砕いたくるみを入れてもgoodですし

てんさい糖を抜いてフルーツジャムを

入れても美味しかったです。

 

リンゴやレーズン、甘栗を入れても

美味しそうですね。

 

思いついたままいろんなアレンジをするのも

楽しみのひとつです。

 

 

ただ、小麦粉ではないので

普通のケーキより少しベタつく食感が

あるかもしれません。

 

そして、オートミールなので

けっこうお腹に溜まります。

私はお昼ごはんに食べたりしてます。

 

 

 

体に優しいお菓子作り

とても楽しいです♪

 

 

 

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自分の中心に戻る

 

 

 

レジでお金を払う時

焦ってしまうのは

後ろの人を待たせてはいけないと

考えているから。

 

店員さんに気を遣うのは

店員さんの気持ちを考えているから。

 

周りに気を遣うのは

周りの人の気持ちを考えているから。

 

 

 

私は、本当に、無意識に

そうやっていつでも

他者の快、不快を考えて

行動していました。

 

自分の快、不快については疎かで

私の世界の中心はいつでも他者でした。

 

 

 

 

自分と正直に向き合ってみると

思ってもみなかった自分の姿が現れてきます。

 

自分が依存していること。

すぐに人に操作されること。

自分の中が空っぽなこと。

人の気持ちばかり気にしていること。

人のためにばかり動いていること。

 

などが、どんどん明らかになってきます。

 

 

 

私は、自分の心の不健全さを

しっかりと認識しようと思いました。

 

人間の形をしているけれど

中に「自分」がいない。

「自分」はどこにいった?

 

自分が、そんな空っぽな存在なのが

悲しかったです。

こんな生き方なのが悲しかったです。

こんな自分なのが悲しかったです。

 

 

 

 

私は、「いい人」をやっていました。

 

それは、良いことではないし

親切でもないし

愛でもなんでもないです。

 

「私は人の気持ちがわかる」

「私は人を助けることができる」など

勘違いだったのです。

 

 

ただ、嫌われるのが怖くて

ビクビクして

自分を明け渡してしまった。

 

自分の世界の中心から

自分がずれている人。

 

意識が常に外側にある

自分がお留守な人。

 

それが等身大の自分でした。

 

 

 

私が助けたつもりの人は

本当は助かったのではなく

力を奪われたのかもしれません。

 

人は、みんな

自分でなんとかする力を持っています。

その力を奪ったかもしれない。

 

だから「いい人」になって

誰かを救おうとすることは

余計なことなのです。

 

 

 

 

そんなことより

自分の気持ちに集中して

自分を救ってあげることの方が大事。

 

自分を世界の中心に置いて

自分の人生を生きる方が

よっぽど周りの人を幸せにします。

 

 

 

「私は『いい人』をやっていたんだなぁ」

と気づき、そんな自分が悲しかったから

「もう終わりにしよう」と思いました。

 

次のステージに進もうと思いました。

 

 

 

周りに引っ張られていることに気づいたら

すぐに自分の中心に戻る。

また引っ張られていたら、また戻る。

 

それを根気よく

何度も何度も繰り返します。

 

つい周りに引っ張られる自分を

決して責めないで

「大丈夫、大丈夫」と優しく励まします。

 

ずっとそうやって生きてきたのだから

それが慣れていてやりやすくて

つい戻ってしまうのは自然なことです。

 

だけど、もうその生き方は手放して

自分の人生を生きると決めたのだから

気づいた時にそのように選択すれば

問題ありません。

 

 

 

そうして、繰り返し繰り返し

気づいたら自分の中心に戻る、と

自分の気持ちを大切にすることを

練習していきました。

 

諦めないで繰り返し練習すれば

必ず変化していきます。

 

完璧に自分中心にできなくても

気づいた時に

自分の中心に戻れれば

それでOKなのです。

 

 

 

 

ゆるく、優しく自分に接して

自分を幸せにしてあげるのが

生きている目的だと思います。

 

みんな、この世界で

自分を生きるために

生まれてきたのですから。

 

 

 

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