心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

人生のスタートラインに立つ

もう10年以上前になりますが

私は心理学セミナーに通っていました。

その中で、ひとりひとつテーマを決めて

それについて調べるという課題がありました。

 

私はアダルトチルドレンをテーマに選び

課題を提出しました。

その時の感想文が残っていましたので

ここに書いておこうと思います。

 

アダルトチルドレン当事者のことが

少しでもわかるかもしれない

と思ったからです。

以下、感想文です。

 

 

*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*

 

 

今回、アダルトチルドレンについて勉強し直すという機会を得られたことは、私にとって幸運なことでした。アダルトチルドレンについて勉強すればするほど自分についての理解が深まったからです。

(中略)

とはいえ、自分のことを知るのは、とても辛いことでした。昔感じた苦痛を再体験することになり、不安や怒りが後から後から湧き上がってきて、夜は眠れなくなりました。

自分に嘘をつくことが苦痛になり、「ねばならない」からの行動は疲労感を感じて動けなくなりました。

(中略)

私は「この世界は危険で、私は迫害される」と心の奥底で思っています。そして「私は人から迫害される価値のない人間」で、だからこそ「人の役に立たなければ生きていてはいけない」と思っています。これが私の世界観です。

こんなふうに信じていたら「家から出たくない。ずっと家にひとりでいたい」と思うのも無理はありません。

私はありのままの自分でいてはいけないので、人に受け入れてもらえるように明るく優しく振る舞って、チャンスがあれば人の役に立つことをしようとし、「ありがとう」と言ってもらえる人になろうとしていました。

 

私が今まで「自己」だと思っていたのは、鎧を着た「偽りの自己」でした。私が「私」だと思ってきた人間は「私」ではありませんでした。

では、「私」は一体どこにいるのでしょうか。不気味なことに、私には「私」を見つけることができません。私は空っぽでした。

私は自分は空っぽのまま、人(親)の欲望を満たすために生きてきました。私にとっては「人の欲望を満たすこと」が「生きる」ということだったのです。

 

でも今、私は知的なレベルで「私は自分のために生きていい」ということを知りました。やっと自分の人生のスタートラインに立ったのです。とても喜ばしいことです。ですが、これでハッピーエンドではありません。

「真の自己」が明確ではありませんし、「自分のために生きる」ということも実はよくわかりません。自分のために生きると、「人の役に立つ人」という役割を手放すことになり、それは正直とても怖いことなのです。

「私が何もしないただの私でいていいのだろうか?」との思いは根深いものがあります。「自分の存在そのものの承認」これができそうでなかなかできないハードルの高いものなのです。

 

このような私が、今自分のためにできることはなんでしょうか。それは、自分の感情に気づき、抱きしめ、最優先することです。感情=本当の私の言葉(気持ち)なのです。

おそらく、まだ赤ちゃん程度の成長で止まっているであろう私の心に愛情を注ぎ、育てる行為です。

こうして「真の自己」を育てて、母でもない、妻でもない、自分を発見し、その自分を守り、幸せにする。これが「自分のために生きる」ということではないかと思うのです。

 

私の心の成長の歩みは、危なっかしく遅いものかもしれません。でも私は、自分の人生をスタートさせることができたことをとても嬉しく思っています。

 

 

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