今回の入院で、私は今まで
ちっとも体の声を聞けていなかったな
と思いました。
頑張らない、無理しないと言いつつ
ずっと頑張って無理していたみたいです。
「みたいです」というのは、自分では
肝臓を壊すほど頑張っているつもりはないから。
私は、4月に風邪を引いた時も
今回熱を出した時も
それぞれ丸5日間は何もしないで休んで
それで「体の声を聞いている」と
思っていたけれど、そうじゃありませんでした。
どれだけ休むとか
疲れを取るとか
そういう対症療法じゃなくて
私はもっと根本的に解放されたいのです。
自分の時間も自由もエネルギーも
人に奪われることから解放されたい。
もっと自分のために自由に生きたいです。
私は「私しかできる人がいない」
「私がやるしかない」と思っているけれど
きっとここが違うのだと思います。
きっとそんなことないのです。
なんとかなるし、どうにかなるのです。
私が家族を心配することをやめ
自分だけでどうにかしようとするのをやめ
「私じゃなくてもいい」
「私がやらなくてもいい」と受け入れれば
現実はそのように変わっていくのでしょう。
限りある時間、限りある体力を
本当にやりたいことに使いたいです。
やりたくないことをやっていると
今回のように足りなくなってしまいます。
自分の生活の中から
いらないものをどんどん省いて厳選していき
やりたいことで埋め尽くされるようになると
イライラしたり、エネルギーが枯渇したり
しないのでしょう。
やりたくないことをやって
自分の時間がなくなっているから
奪われたように感じて怒りが湧くのです。
でも、私は奪われているのではありません。
「私がやらなきゃ」と自分で選んでいるのです。
私が「私がやらなきゃ」と握りしめています。
「それが私の仕事だ」と自分を縛っています。
やりたくなくても、文句を言いながら
それをやることを私が選択しているのです。
そうとわかれば
「私がやらなきゃ」を緩め手放すのは私です。
自分が何をするのか、選択するのも私です。
自分を守り、自由を与えるのも私です。
選ぶのは私なのです。